第2日目  5月14日(火)
 
 中村 −(あしずり51号)− 宿毛 −(南風12号)− 窪川 (各停)− 宇和島 −(宇和海14号)− 卯之町 −(宇和海16号)− 伊予大洲(宇和海20号)− 松山

  卯之町と大洲市を散策
  松山道後温泉のメルパルク松山に宿泊

 
 
約40年前の大学生時代に四国鉄道の旅をしたが、その時は中村−宿毛(すくも)間の鉄道は無かったし、予土線も全線開通していなかったので、本日はこの2線に乗り、また宇和町や大洲市を散策
 し、松山の道後温泉までの行程となる。

 中村から宿毛まで、約15分の短い区間でも特急に乗る事ができるので、四国たびキップはありがたい。中村を出てすぐに四万十川を渡り、やがて駅前周辺がまだ新しい感じがする宿毛駅に到着した。
 相撲の豊ノ島が宿毛出身のため、「豊ノ島関」と書かれた旗が10本近くあった。 この特急列車は折り返し運転となり窪川まで乗る事になるが、反対側のホームでは、派手なラッピングがされた
 1両編成の各停列車が停止していた。 宿毛−窪川間の土佐くろしお鉄道も当然単線なので、途中の無人駅で列車待ち合わせがあったが、このような反対方向の列車の待ち合わせは首都圏では
 ほとんど経験しなくなったように思う。(ただし、首都圏では同じ方向の各停列車が特急や急行列車を待ち合わせる、という事が多いが。)

  中村−宿毛−窪川間の写真

 窪川では2分の接続で、各停の宇和島行きに乗り換える。この列車は1両編成で2時間以上も運転されるが、トイレの設備は無く、またロングシート構成なので車窓を眺めるには首を90度以上
 曲げなくてはならず、こういう列車に乗ると特急列車のありがたみが身にしみる。 しかし、この予土線は途中までは四万十川と並行して走るため、車窓の眺めは非常に良い。観光シーズンでは
 トロッコ列車も走るようである。 江川崎駅まではまわりに人家が少ない小さな無人駅が多かったが、それでも多少の乗客の乗り降りがあった。 こどもの日(5月5日)を過ぎていたが、
 四万十川を横断する多くのこいのぼりが壮大であった。 江川崎駅で、派手なラッピングをした反対方向と待ち合わせたが、この駅での停車時間が長いので、車内アナウスで「トイレを利用の
 方は発車時刻までに列車に戻ってきて下さい。」と案内されていた。 江川崎から宇和島までは昔から開通していた路線で、駅の周辺でも人家が多く、あまり秘境感は無い。 途中駅で、まだ
 午前中にもかかわらず、高校生らしき一団が大量に乗り込んできて、車内は満員になった。 彼らの話から、今は中間テストの時期で帰宅が早いようである。 それにしてもこのあたりの高校生も
 携帯やスマートフォンを器用に使いこなして情報を入手しているので、昔ほど都会と田舎の壁のようなものは無くなってきているのであろうか。

  窪川−宇和島間(予土線)の写真

 約2時間の各停列車の旅を終わり宇和島駅に着いたのは正午過ぎであった。 宇和島駅では約40分ほど時間があったので、どこかで昼食をとりたかったが、そのような施設は無いようで、
 結局駅の売店でパンを買って食べる事となった。 宇和島から特急宇和海14号に乗ったが、この列車は「アンパンマン列車」という事で、アンパンマンキャラクターが車両にラッピングされて
 おり、車内の案内放送も「ぼくアンパンマン」とのアナウスから始まり、JR四国は四国出身の漫画家やなせたかしさんを最大限に活用しているようである。

 宇和島から20分ほど特急列車に乗り、卯之町(うのまち)に下車する。特急宇和海は約1時間に1本走っているので、この卯之町に1時間、次の伊予大洲に2時間の散策時間を確保していた。
 卯之町のある宇和町は西予市(にしよし)に属しており、宇和島藩の在郷町として発展したため、現在も当時の面影を伝える町並みが残っている。 開明学校(かいめいがっこう)と宇和民具館
 の2つの有料施設に入った。開明学校は明治15年(1882年)に建築された小学校であるが、アーチ窓が付いた当時としては斬新的なデザインの建築物である。館内に昔の教室を再現した
 ものがあった。宇和民具館は当時の生活用具や商売道具などが展示されていた。 この町は、昔の町並みをのんびりと歩くのが楽しい。

  卯之町の写真

 次に下車したのは、「伊予の小京都」と呼ばれている伊予大洲である。 観光スポットは伊予大洲駅から少し離れているが、事前に市内循環バスの時刻表を調べていたので、バスで効率よく移動
 ができた。この市内循環バスは一律100円という安さであるが、運行本数が左周り/右回りとも各1日に5本〜6本しかないので、あまり利便性は良くないが、お年寄りを中心にそれなりの
 利用者があった。 バスで最初に向かったのは大洲城で、天守閣は2004年に復元されたばかりで、場内ではどのようにこの城がつくられたかがわかるような模型が展示されていた。
 大洲城から約10分ほど歩いて、昔の城下町の中心地に着いた。このあたりは昭和41年のNHKテレビ「おはなはん」のロケ地となった事から「おはなはん通り」と名付けられている。
 昔の町並みを散策し、ポコペン横丁と呼ばれる広場で、ここは昭和30年代のレトロな雰囲気が演出されており、日曜日のみ露店市が開催されている。この広場の中に「思ひ出倉庫」という
 昭和30年代の町が再現されている建物があった。 次に向かったのは「おおず赤煉瓦館」で、ここは昔の銀行である。現在は世界の鉄道模型とシネマコレクションが展示されていた。

  伊予大洲の写真

 伊予大洲駅までバスで引き返し、今夜の宿泊地の松山の道後温泉へと向かう。 伊予大洲から松山までは特急で約40分程度であるが、松山駅から道後温泉までは路面電車で約20分くらい
 かかった。 路面電車の道後温泉駅から今夜の宿泊地であるメルパルク松山まで行く途中に、日本最古の湯と言われている道後温泉本館があり、ここは重要文化財となっている現役の公衆浴場
 である。2001年の家族旅行の時には入力体験ができなかったので、今回はメルパルク松山で無料で貸し出しでいる外出用のタオル+石けんを借りて、道後温泉本館の神の湯一階コースを
 体験した。 入浴後、道後温泉の商店街をぶらぶら浴衣姿で散策したが、商店街には浴衣姿の観光客も結構多かった。

  道後温泉の写真


    旅行記(3日目)

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