3日目
3日目 4月9日(金) 近江鉄道「1デイスマイルチケット」利用
能登川-近江八幡-八日市-貴生川-水口城南(散策)-八日市-太郎坊宮(散策)-八日市-五箇荘(散策)-高宮-多賀大社(散策)-鳥居本町(散策)-米原(泊)
(3日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
青色が実際に移動した軌跡。 ただし、能登川から近江鉄道近江線の途中までは
GPSロガーの不調によりログデーターは無し。)
この日は近江鉄道の1日フリーキップを購入して、近江鉄道沿線の散策を行う。 起点はJR線も乗り入れている
近江八幡駅であるが、近江八幡駅周辺に気に入った宿が無かったので、2つ手前の能登川駅からのスタートで
ある。近江八幡駅では自販機でフリーキップを購入できた。 まずは、近江八幡から近江鉄道の主要駅である
八日市へと向かうが、出発時から行程をトレースするGPSロガーの調子が悪く、復旧したのはこの路線の途中
であった。
近江八幡発 7:19 の電車は、八日市に 7:42 に到着。 八日市からは 7:42 発の貴生川(きぶかわ)行きの電車
へ乗り換え、近江鉄道の最西端の貴生川をめざす。45分の道中はほとんど高校生の通学客で占められていた。
貴生川には 8:27 に到着。貴生川は近江鉄道、JR草津線、信楽高原鐵道が乗り入れている。少し時間があった
ので信楽高原鐵道の乗り場を探したが、乗り場はJR線のホームの中にあるとの案内があった。
能登川-水口城-八日市駅の写真
貴生川から近江鉄道で八日市方面に引き返すが、この日は近江鉄道沿線の散策のみで移動距離も短い事も
あって、あまり詳細な計画を立てていなかった。 そこで、最初は資料にあった水口城(みなくちじょう)を
めざして貴生川のとなりの水口城南で下車した。この城は徳川家光が上洛の際の宿館として築城され
その後は水ロ藩の居城となり、明治維新後に廃城となり公売に付されてしまったが、現在は復元されて水口城
博物館として公開されている。ただしこの日は定休日だったので中には入る事はできなかった。さらに近くの
水口民俗歴史資料館へ行ってみたが、こちらも定休日で閉館していたが、金曜日が閉館になる公共施設は
珍しい体験だった。
次は太郎坊宮へと向かうため、水口城南から八日市方面へ引き返す。
八日市では20分ほどの乗り換え時間があったので、駅の2階にある「近江鉄道ミュージアム」に立ち寄る。
ここは近江鉄道の車両の変遷や近江鉄道沿線の案内、往年の鉄道用品などが展示していた。
八日市から再び近江八幡方面の電車に乗り換え2つ目の太郎坊宮駅で下車。
(太郎坊宮の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
太郎坊宮は「勝利と幸福を授ける神様」として信仰されていいるがこの名は通称で、阿賀神社が正式な名称で
あるが駅名ともなっている太郎坊宮という名称の方が有名のようである。 駅からは標高350mの赤神山という
名の三角形の不思議な山が見え、その山の中腹にあるあるこの神社はまさに天空の宮と呼ぶにふさわしく、
勝利や幸福のパワースポットとして、プロスポーツ選手、第一線で活躍する企業経営者、政治家、職人、
ビジネスマンなど、多くの人が訪れている。なお、天狗は古くから山に住むとされていて、赤神山に住む天狗の
名前が太郎坊だったので、この神社を太郎坊宮と呼ばれるようになったとの事である。
駅からはるか遠くに見える鳥居をめざして歩く事20分程で石段のある参道に辿り着くが、ここから本殿までは
石段を742段上る必要がある。 なお中腹の社務所のある参集殿までは自動車で来る事ができ、ここからは
東近江の風景を見渡すことができる。 しかしここから先の本殿までの200段は徒歩で行くしかない。
頑張って上って行くと、道幅80cmで距離が12mの夫婦岩に着き、ここを渡ってようやく本殿に到着した。
本殿を参拝後、本殿前の展望所から
見た東近江の眺めは絶景であった。 帰りは途中までは来た道とは異なる裏坂を通り下って行くが、途中に
願いごとが記載された白い石がたくさん置かれていた。 約1時間半の太郎坊宮詣でを終え、12時過ぎに
再び太郎坊宮駅に戻って太郎坊宮 12:29 発の電車に乗り、隣の新八日市駅で下車した。
目的は駅舎見学である。
太郎坊宮と新八日市駅舎の写真
新八日市駅の木造2階建ての駅舎は1922年(大正11年)に建てられ、100年近くたった今も現役として
使われており、1日に通勤・通学客ら約1000人が乗降する。この和洋折衷のスタイルの駅舎は老朽化により
大半は閉鎖され、今は1階の半分が待合室に使われているのみである。しかし近江鉄道は自力で改修する
費用はなく、現在は東近江市にて改修の構想を検討しているとの事である。 かつて日本各地に張り巡ら
された鉄道網は自動車化(モータリゼーション)や地方経済の疲弊で縮小し、玄関口だった駅舎も次々と
姿を消してきているが、歴史の重みを感じさせる駅舎は残して次世代にに引き継いで欲しいものである。
次は、近江商人の屋敷が残る五箇荘(ごかしょう)へと向かう。再び八日市へ行き、ここで上り電車に乗り
換えて五箇荘には 13:20 の到着。
(五箇荘の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
近江商人屋敷は五箇荘駅から少し離れており、徒歩で20分ほどかかる。途中、五個荘小学校の広い
グラウンドと趣のある校門を通り、「五箇荘金堂の町並み」と呼ばれる古い町並みの中に、「外村繁邸」
と「中江準五郎邸」がある。このような古い町並みを散策すると何故か気が落ち着く。 最初の「外村
繁邸」で4館共通入館券を購入し、まず「外村繁邸」から見学する。外村繁は滋賀県を代表する作家
なので、ここは「外村繁文学館」とも呼ばれている。館内には彼が小説を書いていた小座敷もあり、
各部屋からは庭が見えるようにできている。中江準五郎は、大正時代から戦前まで朝鮮半島で次々
に百貨店を開設し『百貨店王』と呼ばれた三中井一族の末弟中で、切妻瓦葺の屋敷には蔵が2棟あり
池泉回遊式の庭もある。
五箇荘の写真
次の「近江商人博物館・中路融人記念館」は古い町並みから外れた五箇荘小学校の近くにある。
中路融人(なかじゆうじん)は東近江市誕生の日本画家で、この建物は2階が中路融人記念館で3階
が近江商人博物館という構成になっている。しかしこの日は2階は改装中で入場できなかった事も
あって、まともに見学できなかった。 最後の「藤井彦四郎邸」は五箇荘駅に近いので、電車の時刻に
合わせてここをゆっくり見学する事にした。 「藤井彦四郎邸」は五箇荘町出身でスキー毛糸の創始者
である豪商藤井彦四郎(ふじいひこしろう)の生家でもある旧宅をそっくりそのまま資料館としたもので、
屋敷・土蔵・展示館があり、現在の日本経済の礎を築いたといわれる近江商人の暮らしぶりはもとより、
歴史や商法などがわかりやすく展示されている。外部からはログハウス風に見える洋館が内部には
西洋風のテーブルと椅子に混じって仏像が展示されていたのが特に印象に残った。 庭も趣があり、
館の方の説明によると庭の池は琵琶湖を模して作られたとの事。それでは石橋は琵琶湖大橋か、と
思ったが庭ができた時代には琵琶湖大橋はまだ無かったので質問してみると、あの石橋は近江八景
の1つの「瀬田の唐橋」との事で納得した。約2時間の五個荘散策を終え、五箇荘駅へと引き返す。
五箇荘 15:20 の電車に乗り次の目的地である多賀大社へと向かう。途中高宮駅で乗り換えて
多賀大社前駅には 15:53 に到着。 多賀大社前駅から多賀大社へ徒歩10分ほど参道を歩くが、
時間が遅かったためか参道のお店はほとんど閉店していた。 多賀大社は、古くから「お多賀さん」の
名で親しまれる滋賀県第一の大社で、御祭神が伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と伊邪那美
大神(いざなみのおおかみ)という生命(いのち)の親神様であることから、「延命長寿・縁結び・厄除
け」の神様として信仰を集めている。そのためか「寿命そば」というお店が境内に出店しているが
この日の営業は既に終了していた。
(多賀大社の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
多賀大社の社殿の前に、とんでもなく傾斜のついた石の太鼓橋があり登っても良いようなので
チャレンジしてみたが意外と怖かった。境内に「文化財の小径」があり、文庫、大釜、神輿庫、鐘楼、
土蔵などが説明札付きで展示されてあり興味深かった。
多賀大社の写真
多賀大社前駅に戻り、本日最後の散策地である「中山道 鳥居本宿」へと向かう。
多賀神社 16:58 発の電車は高宮で乗り換える必要がなく米原へ直行するが、米原から2つ手前
の鳥居本で下車。駅前から国道8号線を渡るとやや狭い通りにぶつかるが、ここがかつての「鳥居
本宿」の宿場町の町並みである。
(鳥居本宿の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
鳥居本宿は本陣や脇本陣の建物こそ現存しないが、随所に重厚な家屋が残り、宿場の雰囲気が
残されている。約40分の時間があったので、赤玉神教丸本舗(有川製薬)、本陣寺村家跡、本家
合羽所の看板のほか、屋根の上に掲げる看板、鳥居本交流センターさんあかの建物(ただしこの日
は既に閉店)などを見て、古い町並みを十分に楽しむ事ができた。 鳥居本町 18:05 発の電車で
米原には 18:11 に到着したが、この日の近江鉄道米原駅は営業を終了していて、キップの自販機
だけの無人化になっていた。
鳥居本宿の写真
本日の宿泊先は明日の計画上、米原駅すぐの東急インにしたが、久しぶりに大浴場のないホテル
であった。
旅行記(4日目)
青春18キップとJR東海乗り鉄キップによる津山、智頭急行沿線、近江鉄道沿線旅の旅行記TOPにもどる