7日目 12月16日(日)  青春18キップ利用
 大分-臼杵(臼杵城跡散策)-臼杵石仏(臼杵石仏散策)-臼杵-杵築-中津-西小倉-折尾-直方-桂川-直方-若松  宿泊は若松。



  (7日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)

 この日は、臼杵城趾と国宝の臼杵大仏を散策した後は、西小倉から折尾へと北上し、折尾からJR筑豊本線に乗車し桂川まで行き、桂川から
 引き返して若松で宿泊する、というコースである。 天気予報では昼前から雨が降ることになっていたが、臼杵大仏を見た後は「乗り鉄」が
 メインなので不幸中の幸い、といったところか。

  臼杵城趾の写真

 大分 7:11 発の普通電車で臼杵には 7:55 の到着。 臼杵駅の看板が「う(すきをハートマーク)」で表していた。
 まずは、臼杵駅から徒歩10分ほどの臼杵城跡へと向かう。臼杵城は昔は臼杵湾に浮かぶ島に築かれた城だったが、現在はすっかり埋め立てられ
 都会の小山の上に建つ城という様相になっている。2001年(平成13年)に大門櫓が復元されている。このあたりは桜の名所となっており、毎春
 には「臼杵城趾桜まつり」が行われている。臼杵城趾の丘の上から臼杵市街地を見渡すことができる。



  (臼杵大仏とその周辺の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 臼杵駅に戻って 8:32 発の臼杵石仏行きのバスに乗車する。 臼杵石仏バス停に着くと、ちょうど臼杵石仏の入場券の発売が開始されていた
 ので、入場券を購入して国宝の臼杵石仏を見る事にした。
 臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われており、その規模、数量と彫刻の質の高さにおいて、日本を
 代表する石仏群であり、1995年(平成7年)に国宝に指定された。
 石仏群は4群に分かれ、順路に従って「ホキ石仏第2群」、「ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)」、「山王山石仏」、「古園石仏」と名付け
 られているが、2018年12月時点では「ホキ石仏第2群」は修復工事中で見る事ができなかった。
 この中では「古園石仏」が、全13体で中尊に大日如来坐像をすえ、その左右にそれぞれ如来像、菩薩像、明王像などを配して、圧巻であった。
 それにしても1000年以上も風雨に耐えて現存している約60体の磨崖仏には感激するとともに、風化・劣化を防いできた地元の先祖の
 方々には頭が下がる思いである。 なお、4群のメインルートのほかに五輪塔や日吉神社へのサイドルートもあったので行ってみたところ、
 日吉神社では関係者が火をたいて暖をとっていた。
 この臼杵石仏の周辺にも、満月寺(まんがつじ)、宝篋印塔(ほうきょういんとう)等の史跡があったので、帰りのバスの発車時刻まで
 楽しんでいた。

  臼杵大仏とその周辺の写真

 臼杵石仏バス停 10:23 のバスで臼杵駅に戻ったところ、観光案内所が開いていて、日本人と一緒に地元に住んでいる外国人スタッフもいた。
 この日は見かけなかったが、臼杵大仏を訪れる外国人は結構多いとの事であった。 この頃ちょうど雨が降ってきたので、雨が降る前に
 臼杵石仏を見る事ができたのはとてもラッキーであった。

 次の予定は、筑豊本線(若松-原田間)の「乗り鉄」であるが、現在、桂川-原田間は今年(2018年)7月の豪雨の影響で不通となって
 いる。 臼杵を 11:02 に出発し、臼杵-杵築-中津-西小倉と日豊本線の普通列車を乗り継いだ後、西小倉から鹿児島本線の列車に乗り
 継いで、折尾には 15:46 に到着した。 折尾から筑豊本線の下り列車に乗り換え直方まで行き、直方から博多行きの電車で桂川で下車。
 この後は、今来た路線を引き返すが、直方からは若松行きの電車に接続したので、折尾では下車せず、終点の若松まで乗車した。
 若松には 18:06 に到着し、今回の旅行の最後の宿泊地である、ホテルルートイン北九州若松駅東へと向かう。
 若松駅からホテルまでは雨の中を傘を差して歩くことになった。 さらにこの日は日曜日の夜だった事もありホテル周辺では食事ができる
 ようなところは無かったので、この日の夕食はコンビニで調達する事になってしまった。 しかしホテルからの若戸大橋の眺めが良かった
 ので、若戸大橋を見ながらの食事は、またこれで楽しかった。

  臼杵-杵築-中津-西小倉-折尾-桂川-若松間の写真


   旅行記(8日目)

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