5日目 12月14日(金) 青春18キップ利用
都城-吉松-人吉-八代-宇土-三角西港(三角西港散策)-三角-熊本-水前寺(水前寺公園散策)-新水前寺-熊本 宿泊は熊本。
(5日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
九州満喫きっぷは2日目~4日目までの利用で使い終わってしまったので、本日からはまた青春18キップの利用となる。
昨日と同様に本日も朝早い列車に乗るため、ホテルでの朝食はとらずにチェックアウトし、都城 6:37 発の吉都線の列車に乗車する。
12月中旬は日が短いのでこの時間帯は未だかなり暗いが、それでも多くの高校生らしき通学生が乗車していたが、彼らはほとんど途中の
小林駅で下車して行った。小林駅はえびの高原への最寄り駅となっていて吉都線の主要駅であるが、みどりの窓口は無い。
小林を出ると昔確か国民宿舎があったと記憶している京町温泉を通り、終点の吉松に 8:13 に到着。
吉松は2014年3月の九州鉄道旅行でも下車した駅で、SLの静態展示や鉄道資料館などがあるが、鉄道資料館は未だ営業時間前であった。
(肥薩線 吉松-人吉間。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
吉松 8:46 発の人吉行き普通列車に乗車する。吉松-人吉間は1日3本した走っておらず、そのうちの2本がほとんどの座席が指定席と
なっている観光列車「いさぶろう/しんぺい」号で、純粋な普通列車はこの 8:46 発の列車だけである。なお、観光列車の名前は、肥薩線
の吉松-人吉間の開通に尽力した、当時の逓信大臣であった山縣伊三郎と鉄道院総裁であった後藤新平の両名が由来となっている。
この吉松-人吉間は今は生活路線というより、ループとスイッチバックを楽しむための観光路線化しているように思われる。
吉松-人吉間には、幸せの鐘がある真幸(まさき)、SL展示館がある矢岳(やたけ)、ループ線とスイッチバックが特徴の大畑(おこば)
という3つの特徴のある駅があり、観光列車の場合は各駅ごとに十分な停車時間があるが、今回の普通列車では停車時間が長かったのは
矢岳駅だけであった。なお、真幸-矢岳間に日本の三大車窓の絶景スポットがあり観光列車では停車して説明してくれるが、今回の普通列車
では通過するだけであった。やはり、吉松-人吉間は観光列車の方が良いと感じた。(ちなみに観光列車は座席指定券を購入すれば青春18
キップでも乗車可能である。) 人吉に 9:44 に到着し、この列車が引き続き人吉 10:14 発の八代行き普通列車になる、とのアナウスがあった。
都城-人吉間 と豪華寝台車「ななつ星」の写真
実は、昨日も同じ時間帯に人吉駅にいたのだが、昨日とは様相ががらっと変わっている。 まず、昨日は人吉 10:14 発の八代行き普通列車は
観光列車の車両であった。という事は、吉松 8:46 発の人吉行き普通列車が観光列車の車両を使っていた、という事になる。
今までの鉄道1人旅で2日続けて同じ発車時刻の列車に乗車した経験が無いが、今回の区間のように元々列車の本数が少ない区間では、通常の
車両と観光列車の車両をヤリクリして運用している事がわかった。
もう1つの大きなサプライズは人吉駅であの豪華寝台車「ななつ星」を偶然見た事がある。「ななつ星」の運行ルートを調べてみると、
この日は4日目の行程で、吉松を 7:25 頃出発しループとスイッチバックを楽しんで人吉に 9:20 頃到着し、現在人吉市内を散策中、という
事のようである。 予定では人吉を 12:45 頃に出発するので、そこまで待てばどんな乗客がこの豪華列車に乗車しているのかわかるが、
さすがにそこまでは待てないので、今回は「ななつ星」の写真を撮ることで我慢した。 それにしても本日乗車した、吉松-人吉間が、
約40分前に「ななつ星」が通った、というのはビックリであった。
昨日と同様に人吉 10:14 の普通列車で八代へと向かう。昨日は車内から第一/第二球磨川橋梁などの写真を撮ったが、この区間は今回の
旅行で3回目なので、この日は車窓を見ず、この後の計画を考えていた。八代に 11:32 に到着後 11:36 発の上り列車に乗り換えた。
次の目的地は三角西港であるが、車内で検討した結果、宇土駅から1分の接続であるバスに乗車することに賭けてみることにした。
宇土駅 に 12:00 着で、バスの発車時刻は 12:01 となっていたが、このバスは熊本-天草間を走っており宇土到着が5分ほど遅れたので
幸いな事に乗車することができた。 バスはしばらくはJR三角線沿いを走っていたが、途中から三角線と別れて海岸沿いを走り、宇土駅
から約35分で三角西港に到着した。
(三角西港の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
三角西港は、1887年(明治20年)に明治政府の殖産興業の政策に基づいて、オランダ人水理工師であるローエンホルスト・ムルドルの設計に
より築港され、明治三大築港の1つとされている。(残りの2つは福井県の三国港と宮城県の野蒜港。)
ここは九州有数の貿易港として栄え、特に三池炭鉱の石炭を輸出した港として「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の
構成資産として 2015年(平成27年)7月に世界遺産として登録された。明治時代の港が完全に残っているのは日本でここだけなので、貴重な
存在となっている。 実際に趣のある建築物が残っており、明治天皇の即位50周年を記念して宇土郡教育会が建てた木造平屋建ての洋館である
「龍驤館(りゅうじょうかん)」、小泉八雲の「夏の日の夢」の紀行文の舞台としたコロニアル様式のホテルですある「浦島屋」、現在は
レストランとなっている「旧三角海運倉庫」、昔の回船問屋であった「旧高田回漕店」、更に国道をはさんで高台側にある「旧宇土郡役所」と
「旧三角簡易裁判所」をひととおり見る事ができた。 三角西港 13:15 発のバスでJR三角駅まで行き、三角 13:20 発の三角線の列車で
熊本へと向かう。途中から行きでバスで通った海沿いの国道を通り宇土からは鹿児島本線に乗り入れて熊本に 14:29 に到着。
三角西港の写真
宇土から三角西港までバス便が利用できたおかげで当初の予定より約1時間早く熊本駅に到着したので、水前寺公園に行くため熊本 14:29 発の
豊肥本線の電車に乗り換える。 なお、豊肥本線は熊本-大分間の路線であるが、2016年の熊本地震の影響で肥後大津-阿蘇間が普通となって
おり、代行バスも走っていない。次回の九州旅行は豊肥本線が全線開通した時が良さそうである。
なお、豊肥本線の熊本-肥後大津間は電化されており運行本数も多い。 水前寺公園へ行くため水前寺駅で下車。
(水前寺公園の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
水前寺駅から10分ほど歩いて水前寺公園に到着。水前寺公園は正しくは水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)と呼ばれ、熊本藩細川氏の
初代藩主・細川忠利が1636年(寛永13年)頃から築いた「水前寺御茶屋」が始まりで、三代目藩主網利公(つなとしこう)のときに庭園が完成し、
その後いろいろな経緯を経て 1929年(昭和4年)12月17日に国の名勝および国の史跡に指定されている。
いわゆる桃山式の回遊庭園(かいゆうていえん)で、東海道五十三次を模したといわれる庭園には、湖に見立てた池が配され、ゆるやかな起伏の
築山とともに、庭園美を楽しめるようになっている。また園内には細川家の歴代がまつられる出水神社(いずみじんじゃ)もある。
この日は外国人を含めて多くの観光客が来ていた。 昔は畑の中にあったため阿蘇山なども見えたが今は周囲にマンションが建ち並び、当初の
景観は無くなっているそうである。 水前寺公園の裏側に「夏目漱石第三旧居(大江旧居)」があったので行って見たところ中に入る事ができた。
隣の敷地にクレーン車があったので後で調べてみたところ、ここは「洋学校教師館(ジェーンズ邸)」があったが熊本地震で倒壊してしまった
との事であった。
水前寺公園の写真
帰りは豊肥本線の新水前寺駅から乗車して熊本へと引き返した。今夜はホテルルートイン熊本駅前に宿泊したが、熊本駅周辺は本当に何もなく
結局は熊本駅ビル内のレストランで夕食をとった。 また、100円ショップへ用があったのだが、熊本駅付近には無いので、1駅となりの
西熊本駅まで行くことになってしまった。 三角-熊本間の列車の車窓から西熊本駅にダイソーを含めた大きなショッピングモールがあった
事を思い出したためである。
旅行記(6日目)
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