2日目 12月11日(火) 九州満喫きっぷ利用
諫早-島原外港-島原(島原散策)-諫早-佐世保-伊万里-有田-肥前山口-佐賀 宿泊は佐賀。
(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
天気予報どおりこの日は雨降りであった。 朝食を急いで済ませ、ホテルをチェックアウト後、諫早 7:17 発の島原鉄道の列車で、終点の島原外港駅
を目指す。 島原鉄道は昔は島原半島南端の加津佐まで開通していて、途中の原城駅は島原の乱の舞台となった原城趾の近くにあり、確か大学生の時
に九州旅行をした時に行った事があるはずなのだが、当時はあまり写真を撮る趣味はなかったため、この時の資料が何も残っていないのがとても残念
である。 この日乗車した列車は2両編成で、車掌も乗車していた。ちょうど朝の通学時間帯だったので、高校生らしき学生で混雑していた。
諫早から約1時間半で終点の島原外港駅に到着。 この駅は周辺には何もない無人駅であるが、徒歩圏内に熊本港へ向かうフェリーの乗り場がある。
この島原-熊本間のほかにも、少し北に多比良-長洲航路(こちらは2017年1月の家族旅行ツァーで乗船した)もあり、どちらも通常期は1日
10便以上運行しているので、島原半島から熊本へのフェリーはそれなりに需要があるようである。
島原外港駅から折り返し列車に乗り、島原駅まで引き返す。
(島原市内の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
島原散策は、島原城と武家屋敷の2カ所を散策した。島原城は島原駅から徒歩5分ほどの距離にあり、通称は森岳城と呼ばれている。この城は、
元和4年(1618)から松倉重政が7年の歳月を費やして築城し、その後城主が、高力氏、松平氏、戸田氏、再び松平氏となり明治維新を迎えたが、
明治維新で廃城になり解体されたが、昭和39年(1964)に天守閣が復元された。天守閣はキリシタン史料館として島原の乱にまつわる数多くの史料が
展示してあった。 天守閣の周辺に日本彫塑界の巨匠で文化勲章を受賞した郷土出身の芸術家北村西望氏の代表作を展示している「西望記念館」や、
198年ぶりに噴火した雲仙普賢岳の噴火活動の資料を集めた「観光復興記念館」があるが、今回は割愛した。
次に武家屋敷へと向かう。ここは島原城築城と同時にできた扶取七十石以下の武士の屋敷跡で、現在は山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3つを見る事が
できる。最後の鳥田邸は子孫の方の住宅となっているので、一部が公開されている。
雨の中の散策を終えて、島原 11:14 発の列車で諫早へと引き返す。 帰りの列車は1両編成のワンマンカーであったが、車内の放送テープには
沿線の観光情報が流れており、大三東駅(おおみさきえき)は最も海に近い駅で、町おこしプロジェクトで幸せ祈願スポットとしてメッセージを記入
した黄色いハンカチを誰でも取り付けることができる設備を設けている、とか、駅の表示板は幸駅(さいわいえき)だけが黄色になっている、とか
いろいろと楽しい話を聞くことができて、あっという間に諫早駅に着いた。 諫早 12:19 到着。
島原市内の写真
諫早 12:42 発の大村線経由佐世保行きの快速シーサイドライナーに乗車。 大村線沿線も大村湾の美しい眺めを楽しむ事ができる沿線であるが、
残念ながら雨模様のため、車窓はいまいちだった。 途中のハウステンボス駅からはハウステンボスの建物が見えた。早岐駅で約10分停車し、
佐世保に 14:05 の到着。 佐世保からは 14:23 発の松浦鉄道の伊万里行きに乗り換える。
松浦鉄道株式会社は、旧国鉄特定地方交通線で長崎県/佐賀県を走っていた西九州線を踏襲した第三セクター方式の鉄道会社である。MRやMR鉄道の
愛称で親しまれている。 この路線は、佐世保-佐々-たびら平戸口-松浦-伊万里-有田までの 93.8km の路線で、日本最西端の鉄道である。
(ただし、沖縄県の沖縄都市モノレール「ゆいレール」を鉄道と見なすと、こちらの方が日本最西端の鉄道となってしまう。)
佐世保-佐々間は佐世保のベッドタウン地帯を走るので列車の本数は多いが、佐々-伊万里間は通勤・通学時間帯を除けば1時間に1本程度と
なる。 たびら平戸口駅には日本最西端の駅の標識がかかっていた。この駅は平戸観光の最寄り駅と思っていたが平戸島へ行く路線バスもなく、
実際に公共交通を使って平戸観光する人は佐世保からのバスを使うように思われた。
たびら平戸口駅からこの沿線の命名駅である松浦駅までの間に巨大な火力発電所が目に入った。松浦から海の見える車窓を楽しみながら、約40分
で終点の伊万里に着いた。 定刻どおり伊万里に 16:55 到着。
島原-諫早-佐世保-伊万里-有田-佐賀間の写真
松浦鉄道の伊万里駅とJR伊万里駅は直接繋がっておらず、JR伊万里駅は道路1本を挟んだ先にあった。旧国鉄時代は繋がっていたはずなのだが
わざわざ分離したのだろうか。
伊万里 17:03 発の有田行きの松浦鉄道の列車に乗車。この時期はもう日が落ちて暗くなってしまい有田間の車窓は楽しめなかった。
有田には 17:29 に到着。 有田ではJR線に乗り換えて肥前山口経由で佐賀には 18:44 の到着となった。
この日は、島原を 11:04 の列車に乗った後は約7時間半は列車の乗車のみの「乗り鉄」であった。
今夜は、佐賀駅前の「ホテルルートイン佐賀駅前」に宿泊した。
旅行記(3日目)
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