2日目 3月21日(火)
下関(関門トンネル散策)-長門市-厚狭-新山口-柳井(柳井散策)-岩国(錦帯橋、岩国城散策) 岩国(泊)
(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
この日は、朝食前に関門トンネルを歩いて対岸の門司まで行く予定で、朝の5時半頃下関駅前からタクシーに乗り関門トンネル下関側の入口近くの御裳川(みもすそがわ)
バス停まで向かう。 この日は雨降りだったが、関門トンネル人道の入口には朝6時の開門を待つ人が数人いた。 この人道は780mあり、朝のランニングにちょうど
良いらしく開門後も次々とランニングを楽しむ人が集まってきた。 この関門トンネルは二重構造になっていて、上が車、下が人道となっており、1958年3月に完成した
ものである。こういうものが50年以上前に完成した事に関し、以前にTV番組で外国人旅行者の驚きの感想が放映されていたが、この日は朝早い雨降りのためか外国人の
姿はいなかった。トンネルの途中に、山口県と福岡県の県境の表示もあり、興味深かった。
門司側の地上にあがり、下関の火の山付近を眺めても、まだ薄暗く悪天候のため、残念ながら絶景は見られなかった。
再び下関側に戻り、既に路線バスの運行も始まった時間帯だったので、帰りはバスで下関駅方面と向かう。
下関(関門トンネル)から柳井までの写真
(関門トンネル散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
ホテルで朝食後チェックアウトし、下関駅に着いたのが 7:20 頃だったので、下関発 7:28 の山陰線経由長門市行きの列車に乗る事ができた。
今回の旅行目的の1つが、昨年代行バス乗車となってしまった厚狭-長門市間の美祢線に乗車する事であった。当初は下関から厚狭まで行き、厚狭から美祢線を往復する
予定であったが、関門トンネル入口までの往路にタクシーを利用したため、下関から山陰線で長門市まで行き、長門市から美祢線で厚狭に行くという周遊コースが可能と
なり、良かった。
下関からの山陰線は、途中の小串までは列車の本数も多く、沿線は下関市のベッドタウンのような感じであり、この日も通学の高校生が多く乗車していた。
長門市行きとなっているが、小串駅では20分以上の待ち合わせ時間があった。 小串を過ぎると、列車は時折日本海のすぐ側を走り、車窓を楽しむ事ができる。
珍名駅名では必ず出てくる特牛(こっとい)駅を通り、長門市には 9:45 に到着した。
長門市で 9:56 発の美祢線厚狭行きの列車に乗り換える。 長門市-厚狭間の美祢線は、昨年の代行バスでも経験したとおり、大半は国道316号線と並行して走って
いる路線なので、美祢線沿線で特に感動したところはなかった。
厚狭駅に 11:00 到着後、5分の連絡で山陽本線の上り電車に接続し、11:38 に新山口駅に到着。 約30分弱の接続時間だったので、新山口駅の売店で家族へのお土産を
買い宅配便で自宅へ配送依頼をしたが、何故か新山口駅で萩のお土産(みかんを使ったお菓子など)がたくさんあった。
新山口 12:03 発で、柳井には 13:30 に到着。
(柳井市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
柳井市は、瀬戸内海の室津半島のつけ根部分に拓けた港町で、古くから海上交通の要衝として栄え、江戸時代には岩国藩のお納戸と呼ばれ、商都として賑わっていたところで
今なお往時の面影を残す白壁の町並みや細い路地が残されている。
最初に柳井の伝統・文化に関係したものを展示している「しらかべ学遊館」へ行ったが、あいにく火曜日は定休日であった。しかし、施設の中に入らなくても白壁の町並み
を歩くのはそれなりに楽しい。 多くの家で金魚の形をした「金魚ちょうちん」が付けられているが、この山口県を代表する民芸品を使ったイベントが年に何回かあるようで
ある。金魚ちょうちんが点灯したよるの町並みも素敵であろうと思う。
自由気ままに、油商であった小田家の屋敷である「むろやの園」、明治の文豪である国木田独歩が青年時代の数年間を過ごした「国木田独歩旧宅」、旧宅のすぐ近くの
「光台寺」、旧周防銀行本店として明治40年(1907年)に建築された建築物の中にある「町並み資料館」、昭和55年頃までは醤油蔵として使用されていて、今はギャラリー
及び体験工房として複合型観光施設に生まれ変わった木造平屋建・白壁土蔵造りの建物である「やない西蔵」などを楽しんだ。
柳井市内の写真
柳井発 14:37 の電車に乗り岩国に 15:10 に到着。ここからバスで錦帯橋へと向かう。 しかし錦帯橋は 2012年9月の旅行で見たので、今回は最初にロープウェイに乗って
その先の岩国城へと向かう事にした。
(岩国市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
岩国城は 1608年 (慶長13年) に初代岩国藩主の吉川広家が、蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に築城したが、幕府の一国一城令により築城より
僅か7年後の1615年 (元和元年) には取り壊しとなってしまった悲運の城である。現在の天守は1962年 (昭和37年) に外観復元されたもので、復元の際錦帯橋からよく見えるように
旧本丸の約50m南側に位置を変えているとの事である。また、現在の天守内には刀剣や武具甲冑類が展示されている。
位置を変更して復元されたため、岩国城からは錦帯橋や旧町並み、瀬戸の島々、岩国空港なども一望できて、とても印象に残った。この日は午前中は雨模様であったが午後から
天気も回復してきた事も幸運であった。
岩国城からロープウェイで錦帯橋方面へと向かうが、もう17時近くだったので、錦帯橋の入場チケットをチェックする人もいなかった。近くの「岩国シロヘビの館」はまだ
入場可能だったが割愛したのだが、シロヘビを見ると縁起が良い、という事だったので、入館しておけば良かった、と少し後悔した。
錦帯橋からはぶらぶらと西岩国駅方面へと歩き、30分ほどで西岩国駅に到着。
岩国-徳山間は、今は柳井経由の山陽本線がメインで、西岩国駅経由の岩徳線はローカル線に成り下がっているが、昔は岩徳線の方がメインで、しかも西岩国駅は岩国の表玄関で
錦帯橋への観光客の利用駅であった。 そのため、現在も残る長いプラットホームが当時の盛況を偲ばせている。また駅舎自体も洋風の建物で、正面玄関などに錦帯橋をモチーフに
したと思われるデザインが取り入れられている、非常に素敵な建築物になっている。
岩国市内(錦帯橋、岩国城など)の写真
西岩国から岩国まで岩徳線の列車を利用したかったが、次の列車まで50分近くもあったため、断念してバスを利用した。
この日は、ホテルアルファーワン(α-1)岩国というところに宿泊したが、後日出雲市でもアルファーワン系列ホテルを見かけた。
旅行記(3日目)
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