3日目 3月23日(水)
 益田-東萩着(萩散策)- 長門市 -(美祢線運休のため代行バス)-厚狭-新山口-岩国-広島-糸崎-福山(泊)



   (3日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 赤色が実際に移動した軌跡。)


 当初の計画で、この日は昨年(2015年)の春に雪のため乗車できなかった木次線(出雲横田-備後落合)のループバック路線に
 乗る案と萩散策をする案の2つを作成していたが、結局萩散策をする事とした。

 益田発 7:50 の列車に乗り、東萩に 9:09 到着。 さっそく東萩駅前でレンタサイクルを利用した。萩は昨日の山口市と同様に、
 1998年春の家族旅行、2010年秋の業界団体での旅行でも来た事があり、さらにさかのぼって大学生時代の山陰旅行の際に津和野
 と共に来た事がある。 レンタサイクル店で推奨コースを訊くと、まずは最近世界遺産(明治日本の産業革命遺産)になった
 ところを見た方が良い、とのアドバイスをもらったので、最初に「萩反射炉」へと向かう。



 (萩散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 この反射炉は鉄製の様式大砲を作るために幕府が導入に取り組んだものであるが、この反射炉は自力で西洋技術を取り入れようと
 試行錯誤を繰り返したが結局失敗作であった、との事。 反射炉としては静岡県の韮山の方が規模が大きく、お土産店もあり
 観光客も多いのに対し、こちらはこじんまりとした雰囲気であった。
 次に、萩反射炉の近くにある、恵美須ヶ鼻(えびすがはな)造船所跡へと向かう。ここはかつて軍艦製造所があったところで
 あり、今も当時の規模の大きな防波堤が残っている。 世界遺産にもかかわらず、萩反射炉や恵美須ヶ鼻造船所跡には、ほとんど
 観光客らしき人はいなかった。

   萩散策の写真(1)

 次に、萩の名所の1つである、松陰神社へと向かう。ここには吉田松陰が主宰した私塾である松下村塾があり、同じく世界遺産に
 認定されたが、ここは多くの観光客で賑わっていた。
 今回は、レンタサイクル店で入手した情報をもとに、松蔭神社の横を上って、伊藤博文旧宅へと向かう。この旧居は伊藤博文が
 安政元(1854)年から実際に住んだところで、木造茅葺き平屋建ての小さな家である。当日は歩け歩けグループと思われる団体客が
 来ていた。旧居の隣に伊藤博文別邸があり明治40年(1907年)に東京大井町に建てられたものを萩に移築したものである。ただし
 全てが移築復元されたわけではなく、往事の面影をよく残す玄関、大広間、離れ座敷の3棟のみが復元されている。ぜいたくな
 雰囲気の内装が印象的で、優れた近代和風建築と言える。
 次に玉木文之進(たまきぶんのしん)旧宅へと向かう。玉木文之進は吉田松陰の叔父であり松下村塾の創立者でもあるので、
 ここは「元祖松下村塾」と言えるかもしれない。玉木文之進旧宅から約100mほど坂を上がって行くと、吉田松陰誕生の地が
 ある。 現在、誕生地には敷石しか残っていないが、ここは萩市内を一望できる高台にあり、眺めが良い。

 松陰神社とその周辺を後にして、松本川を渡り、桂太郎旧宅方面へと向かい、旧湯川家屋敷と桂太郎旧宅を見る。桂太郎は
 萩が生んだ3人目の総理大臣である。 2つの旧宅には3月下旬にもかかわらず立派なひな人形が飾っているので係の人に
 質問したところ、萩では旧暦を採用しているとのことであった。更に、世界遺産に認定された観光地であるが人口減が悩みの
 ようで、こちらに引っ越してくれば税金も安く住みやすいよ、と転居を勧められた。
 更に自転車で10分はどでJR萩駅に着いた。萩駅は趣のある建物で、内部はかつて国鉄時代に使用された鉄道グッズが置いて
 あり、鉄道記念館(資料館)となっている。
 萩駅から萩指月公園に向かう途中に、以前家族旅行で行ったとき印象が深かった旧萩藩校明倫館に立ち寄ったが、旧明倫小学校
 校舎は保存整備工事中にため入場できなかった。

 萩指月公園は萩城趾があるところで、萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも
 呼ばれている。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめている。
 城跡の構造をよく残していることが特徴で、園内には天守閣跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡がある。
 学生時代に、この近くのユースホステルに宿泊した事があるが、今でもこのユースホステルが残っているようで嬉しかった。

 時間があれば、萩の中心地(高杉晋作誕生地など)をもう少し散策したかったが、東萩発 13:24 の列車に乗る必要があったので
 残念ながら割愛した。それにしても東萩駅は、かつては特急停車駅だったが、今は駅に売店もなく、さびしい駅である。
 駅前にも昼食をとれる場所もなく、結局、手持ちのお煎餅が「昼食」となってしまった。

   萩散策の写真(2) および 萩-福山間の写真

 東萩発 13:24 の列車で長門市へ向かう。長門市から美祢線の列車に乗る予定であったが、この日はあらかじめ予定されていた
 運休日だったので代行バスでの移動となった。やはり、最新版の時刻表で事前に確認すべきであった。
 代行バスは長門市から厚狭までは、ほぼ美祢線の各駅に停車する。途中の長門湯本駅は、長門湯本温泉の最寄り駅であるが、
 温泉郷からずいぶん離れたところにあるようである。
 代行バスは、列車の時刻に比べ約30分くらい遅れて厚狭駅に到着したが、厚狭駅での乗り換えに関しては元々余裕があった
 ので、厚狭駅以降は計画通りに、厚狭-新山口-岩国-広島(夕食)-糸崎-福山、という1日目と逆コースを進み、福山には
 当初の予定どおり 21:32 着と少し遅い到着となった。


   旅行記(4日目)

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