2日目 3月22日(火)
新山口-山口(山口散策)-津和野(津和野散策)-益田(泊)
(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 赤色が実際に移動した軌跡。)
ホテルの朝食が朝6時からOKだったので、早めに朝食を済ませ、新山口駅 6:25 発の山口線の列車に乗り、6:48 に山口駅に到着。
荷物をコインロッカーに預け、さっそく県庁方面へと歩く。最初に立ち寄ったのは山口サビエル記念聖堂で、施設名としてはサビエルと
濁らないのが正式名称との事である。フランシスコ・ザビエルの来日(山口での布教活動)400年記念として1952年に建てられたが、
1991年に失火により全焼し、現在のものは 1998年 に再建されたものである。中に入りたかったが 9:00 にならないと入れないので
断念した。 山口サビエル記念聖堂から山道を上ると、山口市内が展望できるところがあり、そこから下っていくと亀山公園となり、
朝の散歩をする人も見られた。現在工事中で閉館となっている山口県立美術館をそばを通り山口県庁方面へと向かう。県庁から瑠璃光寺
五重塔がある香山公園までは近いはずであるが、途中道を間違えてしまい一の坂川沿いの道を歩いて遠回りになったが、何とか香山公園
に到着した。
(山口市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
国宝瑠璃光寺五重塔は、1998年春の家族旅行、2010年秋の業界団体での旅行に続き3回目であるが、1人で来たのは初めてだったので
今回は五重塔以外にもゆっくり見ることができた。
香山公園から山口駅に向かう途中に商店街があったが、まだ開店時間前なので静かであったが、所々は貸店舗となっていた。
地方の人口減の問題を反映しているのだろうか。 この商店街にもサッカーJ2リーグの「レノファ山口FC」を応援するメッセージ
があったので、地域密着型のJリーグは大きな都市に集中しているプロ野球よりも地方の活性化に向いているように感じた。
山口散策の写真
当初の予定より1時間半ほど長く山口市に滞在できたので、山口発 9:46 の津和野行き列車に余裕で乗る事ができた。
途中、宮野駅で特急列車の待ち合わせがあったが、同じローカル線でも特急列車が通る路線と各停列車しかない路線とでは、路線の
風格が違うように感じた。なお、この山口線は、新山口-津和野間は休日を中心にSLも走っている。
途中の長門峡は渓谷がきれいなところで一度は行って見たいところであるが、今回は割愛したが、乗客2人がこの駅で下車していた。
山口から約1時間20分で津和野に到着。
(津和野散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
津和野は「山陰の小京都」と呼ばれる小さな城下町で、多くの見どころが駅からの徒歩圏内にあるが、今回は効率良くまわる事と、
コインロッカー代を節約するため、レンタサイクルを利用した。(貸自転車利用者は荷物を無料で預かってもらえる。)
津和野は約40年前の大学生時代に来た事があるが当時の写真もなく、城跡の山に登った事以外はほとんど記憶にない。
自転車でまず、森鴎外旧宅へと向かう。ここは森鴎外が幼少期に過ごした家であり、隣接する森鴎外記念館にいろいろと詳しい
資料があるようだが、この日は月曜祝日の翌日の火曜日だったので、旧宅は見ることができたが、残念ながら記念館は休館であった。
更に遠出をすると、道の駅「なごみの里」があったが、ここのメインは天然ランド温泉だったので少しばかり期待と違っていた。
道の駅から少し進んだところを右折して津和野川を渡り、津和野駅方向にもどり「鷲原八幡宮流鏑馬の馬場」に立ち寄る。ここは
毎年4月の流鏑馬神事の時には多くの見物客が来るとの事であるが、この日は人ひとりとしていない寂しい雰囲気が漂っていた。
津和野散策の写真(1)
更に進むと、日本遺産と記載された津和野の百景の絵が展示されていた。これは幕末時代に栗本格齊が描いた「津和野百景図」と
現在の様子とを対比させストーリーとしてまとめたもので、昨年(2015年)4月に日本遺産として認定された。
さらに進むと西周(にしあまね)の旧居がある。西周は明治の啓蒙思想家で文明開化の推進に多大な功績を残した人であるが、
あまり名前が知られていないためか旧居は少しばかりみすぼらしかった。
次は、今回の最大の目的である津和野城趾へと向う。ロープウェイ駅の近くに自転車を置き、ロープウェイで山頂へと向かう。
津和野城は鎌倉時代に築城されたが今は石垣が残るのみだが、城跡からは眼下に津和野の町並みを眺める事ができる絶景地である。
この日は天気も良く、絶景を楽しむ事ができた。途中スペイン人の中年女性がいて挨拶をしたが、ほかに津和野で外国人を
見かけなかったので、彼女はかなりの日本通なのであろうか。
次に訪れたのは山頂の津和野城趾からも見えた太鼓谷稲荷神社で、ここは津和野藩主が城の安穏と領民の幸福を願い京都の
伏見稲荷の神霊を移して創建されたもので、参道の約1000本の朱塗りの鳥居は圧巻であった。
次は、長女が高校時代の学校行事でも訪れた事があるという、乙女峠マリア聖堂へと向かう。ここは長崎から改宗を迫られた
キリシタンが殉教したところで、この聖堂は殉教者たちを追悼するために建てられたものである。聖堂内のステンドグラスが
美しかった。 再び津和野駅の裏側に出て、次に津和野藩歴代藩主の菩提寺である永明寺(ようめいじ)に立ち寄った。
ここは総萱ぶきの本堂が特徴である。
次に津和野市街地を散策する。本町通りから殿町通りを通るとゴシック様式の津和野カトリック教会があるが、珍しい畳敷き
の教会となっている。この教会は乙女峠の悲劇を繰り返さないようにとの願いを込めて 1931 年に建てられたもので、今は
幼稚園も併設している。津和野は鯉が有名であるが、このあたりは 2013 年夏の集中豪雨の影響がまだ残っているようで、
白壁に面した通りの掘割の水がかなり濁っていた。 殿町通りには、藩校養老館があるが建物の一部は民俗資料館となっていた。
最後に安野光雅美術館を見る。安野光雅は国際アンデルセン賞を受賞した津和野出身の画家で、この美術館では彼の作品を展示
しているほか、昭和初期の教室の再現や絵本が閲覧できる図書館やプラネラリウムもあったが、閉館近い時間だったので、
プラネタリウムは見る事ができなかった。
津和野散策の写真(2)
約5時間半の津和野散策を満喫して、津和野発 16:57 の列車に乗り、今夜の宿泊地の益田へと向かう。益田には 17:40 到着。
後で気がついたが、この日の鉄道移動距離は100キロ未満だったので、青春18キップを1日分消費するのではなく、
この日は普通に途中下車可能な乗車券を買った方が良かったかもしれない、と思った。
今後の青春18キップでの旅行計画にフィードバックしたいと思う。
旅行記(3日目)
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