2日目  12月14日(火) JR西 どこでもきっぷ
 新大阪-博多(住吉神社散策)-新山口-益田(散策)-出雲市(泊)



 (2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 
  青色が実際に移動した軌跡。)


 ホテルをチェックアウト後、すぐ近くの地下道を入ってしばらく歩いてJR大阪駅に着き、ここから1駅の新大阪駅
 から新幹線に乗車する。なお今回の「どこでもきっぷ」では、新大阪-博多間の山陽新幹線が乗車可能で、
 米原-京都-新大阪間はJR東海が管轄する東海道新幹線となるため乗車対象外となっている。 新大阪 7:51
 発の鹿児島中央行き「みずほ603号」で博多へと向かうがこの車両はJR九州管轄の8両編成である。 
 東海道新幹線は16両編成が多いので、8両編成はずいぶん短いように感じた。今回はあらかじめ窓側の指定席
 を確保していたが、コロナ禍では珍しく隣の通路側にも乗客がいた。 山陽新幹線は広島まではむかし会社の
 出張で乗車したことがあるが、その先は初体験である。それにしても山口県に入ると新岩国、徳山、新山口、
 厚狭、新下関と通過していったが、山口県に5つの新幹線の駅があるのには驚いた。山口県は大物政治家が
 多いためなのだろうか。山口県から新関門トンネルを通り福岡県に入り小倉には 9:58 に到着し、博多には
 10:14 に到着となった。 実は小倉-博多間はJR西日本管轄の山陽新幹線に属しているので、今回の
 「どこでもきっぷ」で博多まで行く事ができるのであるが、北九州市と福岡市という2つの政令指定都市を結ぶ
 新幹線をJR九州が管轄できていない事は、JR九州にとって非常に残念な事のように感じる。小倉-博多間の
 所要時間は新幹線では17分なのに対して在来線特急では約50分ほどかかり自由席の運賃は新幹線では
 2160円、在来線特急では2020円なので単純に小倉-博多間だけ見れば勝負にならないように感じるが、
 在来線特急が存在しているのは、在来線(鹿児島本線)の黒崎、折尾、香椎などの利用者がそれなりに存在
 しているためなのかもしれない。




 (住吉神社の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 博多で約2時間確保できたので、博多駅から徒歩10分のところにある住吉神社へと向かう。住吉神社は
 全国に2,300社以上あり、航海守護神の住吉三神を祀る神社である。古事記で、底筒之男神(そこつつの
 おのかみ)、中筒之男神(なかつつのおのかみ)、上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記されている
 3神の総称を住吉三神(または住吉大神ともいう)と称しているが、大阪の住吉大社が総本社とされること
 が多い。博多の住吉神社は大阪の住吉大社・下関の住吉神社とともに「三大住吉」の1つに数えられて
 おり、全国にある住吉神社の始祖とする説もあり、実際に案内図にも記載されていた。
 住吉神社境内は意外と広く、国指定重要文化財に指定されている住吉神社御本殿のまわりに、
 摂社・末社として、荒熊・白髭稲荷神社(商売繁盛)、三日恵比須神社(幸運招福)、船玉神社(航海・
 交通安全)、志賀神社(航海・交通安全)、人丸神社(芸能上達)、菅原神社(学業上達)、少彦名神社
 (万病快復)、天津神社(良縁成就)などがある。さらに境内には、能楽殿、神楽殿、古代力士像(立身
 出世)、恵比須神像(運気上昇)、御神木一夜松(不老長寿)、のぞき稲荷、相撲場などもあり、境内で
 多くの開運巡りもできるようになっている。航海守護神の神社なのに多くの開運巡りができ、能楽殿や
 相撲場もあるので、多くの人がこの神社を訪れる事は納得できた。

  住吉神社の写真

 博多駅に戻り博多 12:15 発の「のぞみ28号」に乗車して新山口に 12:49 到着。新山口 13:01 発の
 JR山口線を走る「特急スーパーおき4号」に乗り換えて次の目的地である益田へと向かう。JR山口線は、
 山口県の有数の温泉である湯田温泉、県庁所在地である山口、有名な観光スポットである津和野を通る
 路線であるが、JR山口線で特筆されることはSL(蒸気機関車)牽引列車の運転であろう。SLは1975年
 12月を最後に運転は終了していたが、1979年8月1日から「SLやまぐち号」の運転が開始され、この
 列車の成功を受けて国鉄からJRになってもSLの復活運転が各地で行われるようになったので、その
 功績は大きいと思われる。2022年も「SLやまぐち号」は3月から11月ごろの土曜日や日曜日、祝日を
 中心に、新山口-津和野間を1日1往復の運転される予定になっている。今回は観光スポットの津和野
 には途中下車しないで、益田には 14:36 に到着。




 (益田市内の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 益田では1時間半ほどの時間があったので、雪舟ゆかりの医光寺(崇観寺)と萬福寺へレンタサイクルを
 借用して散策する事にした。レンタサイクルは電動アシスト付きで500円であったが荷物を無料で預かって
 頂けたので助かった。 雪舟は室町時代の禅僧で画僧で、幼い時、寺での修行中に絵を描いて和尚さんに
 怒られ柱に縛られたが、その涙で足を使いねずみの絵を描いたところ大層上手に描けており、和尚さんが
 驚いて雪舟が絵を描くことを許した、という逸話は有名である。 雪舟はその後、中国に渡り本場の水墨画
 を学んで日本に帰ってからは日本全国に旅をしながら各地で作品を遺し、益田では 「益田兼堯像図」「山
 水図」「花鳥図屏風」を描き、現在の萬福寺と医光寺に山水庭を築き、晩年は益田を再訪し、画の制作に
 励みながらこの地で生涯を終えた。
 レンタサイクルで道に迷いつつ医光寺に15分程で到着。雪舟の水墨画の世界が広がる医光寺の庭園は
 国史蹟および名勝に指定されており、毎年3月半ばには枝垂れ桜、5月には一面のツツジ、夏は緑が涼しく、
 秋には大きな楓が赤く染まるなど四季が楽しめる庭園となっているが、雪のないこの時期(12月)は何も
 無く寂しい感じであった。 医光寺は庭園以外にも、七尾城(益田城)の大手門だった巨大な総門、中門と
 鐘楼、雪舟灰塚(雪舟はこのお寺で火葬された事を示す石碑等)などがあり、見どころが多かった。

 医光寺から益田駅の方に引き返し萬福寺へと向かう。萬福寺は時宗道場として平安時代に建立されたが、
 大津波での流出後再建され、1479年に15代城主益田兼堯が雪舟を招き、石庭を造らせた。この石庭は、
 背後の山の斜面を活かした医光寺庭園とは異なり、比較的平坦(背後は緩やかな斜面)な場に築山を
 もうけた明るい築山泉水式庭園となっており、仏教の世界観「須弥山世界」を表現したものになっている。

  益田市内の写真

 1時間半ほどの散策を楽しんだ後、益田 16:03 発の特急スーパーまつかぜ12号で今夜の宿泊地の
 出雲市へと向かう。出雲市 17:49 の到着。 
 今夜の宿泊ホテルは駅から徒歩5分ほどのグリーンリッチホテル出雲である。


   旅行記(3日目)


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