2日目 12月27日(月)
いわき-原ノ町-仙台(市内散策)-高城町-仙台(泊)
(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
青色が実際に移動した軌跡。)
この日は、東日本大震災で長期間不通になって2020年3月に復旧したJR常磐線のいわき-仙台間を乗車して
仙台に入り、仙台市内を散策するという計画である。 いわき-仙台間は2020年9月にも乗車したが、あの時は
所用で車内でのパソコン操作を行っていたため車窓を十分に見る事ができなかったので、今回が再チャレンジと
なる。 まずは、いわき 7:11 発の原ノ町行き電車に乗車。 原ノ町までのこの区間は、東日本大震災から10年
以上過ぎた今でも、まだあちらこちらで復興の建設作業をしていた。途中の大野駅と双葉駅の間で東京電力福島
第一原子力発電所に最も近い部分があり、国道6号線と隣接する箇所があったが、それなりの交通量であった。
かつて常磐線は上野-青森間を多くの夜行の特急・急行列車が走っていた大動脈であり複線化されていたが、
震災後はとりあえず単線で復旧したところが多いようで、かつての複線化の名残をあちらこちらで見られた。
原ノ町に 8:29 に到着。 24分の接続で仙台行きの電車に乗り換える。 原ノ町-仙台間はいわき-原ノ町間に
比べ列車の本数も多い。仙台に近づくにつれて積雪が多くなってきた。途中にお城の形状の図書館もあった。
仙台には 10:17 に到着。
いわき-仙台間の写真
この後、夕方まで仙台市内散策をすべく、630円の「るーぷる仙台1日乗車券」を購入した。このバスは9時から
16時まで20分毎に、仙台の観光スポットを通る循環バスであるが、時計方向のみで逆方向はない。あいにく
この日は月曜日ということもあってお休みの施設も多かったが、バスのルートに従って瑞鳳殿(ずいほうでん)、
仙台城跡、大崎八幡宮の3つに絞って散策した。
瑞鳳殿は仙台藩祖伊達政宗の霊廟である。元々あった建物は戦災で焼失したが、後に復元された。 瑞鳳殿の
周辺には二代藩主伊達忠宗の霊廟である感仙殿、三代藩主伊達綱宗の霊廟である善応殿、その他伊達氏に
関連する霊廟や付属施設である妙雲界廟や御子様御廟などがあり、一帯が「経ヶ峯伊達家墓所」として仙台市
指定史跡となっている。また、瑞鳳寺も隣接している。 瑞鳳殿は、鳳凰(ほうおう)や天女、獅子など、豪奢かつ
繊細な装飾が印象的であった。隣の資料館では、伊達家三代や霊屋の発掘調査で出土した遺品などが展示
されていた。善応殿、妙雲界廟、御子様御廟は瑞鳳殿から少し歩いたところにある。
この日は寒い冬の日にもかかわらず30人ほどの観光客で賑わっていた。
(仙台市内の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
再び循環バスに乗り、仙台城後で下車する。 仙台城は青葉山に建造されたことから雅称は青葉城と
言われるが、正式名の仙台城よりも青葉城と呼ばれる事が多いように思われる。
戦国時代は武将として、江戸時代には仙台藩の為政者として、数々の戦歴や功績を残した伊達政宗が
造営した仙台城は明治維新までの約260年間仙台藩の藩政の中心地として機能し歴代藩主が住んでいた。
しかし明治維新後には多くの建築物が解体され、第二次世界大戦時の仙台空襲によりほとんど焼失して
しまった。現在は脇櫓のみが再建され、大手門の復元計画が進行中との事である。しかし脇櫓のみが
残る広場で伊達政宗像がひときわ目に付く。また仙台城跡から市内を見渡すと絶景であった。 近くの
青葉城資料館ではVR(バーチャルリアリティ)で仙台城の360度パノラマ画像を見ることができる。また
青葉城資料館の近くには宮城県護国神社がある。
仙台市内の写真
再び循環バスに乗車して、大崎八幡宮前で下車。この神社は慶長12(1607)年、伊達政宗公によって
創建され、昭和27年に国宝に指定された。この日は初詣客に備えて準備をしているところであった。
少し時間があったのでバス停を1つ溯って広瀬川を橋の上からじっくり見たり、本日休園の交通公園を
覗いて見た。 再び循環バスに乗りメディアテーク前で下車しメディアテークに入ったが特筆するものは
特に無かった。
循環バスで仙台駅に戻り、16:15 発の快速宮古行きの電車に乗車する。この快速電車は途中塩釜駅
から「仙石東北ライン」というルート仙石線に入るが、この路線は2015年に開業したものである。この
路線も未乗車区間だったので、塩釜の次の高城町まで行き、高城町から従来の仙石線を通り仙台まで
戻ってきた。 仙台に 17:24 に到着。
この日は、仙台駅から徒歩3分の「ホテル モンテ エルマーナ仙台」に宿泊した。
旅行記(3日目)
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