5日目 4月11日(日) JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ 利用
多治見-恵那-明智(散策)-恵那-金山-豊橋-浜松-静岡(散策)-新静岡-新清水-清水-吉原-岳南江尾-吉原-沼津-三島-修善寺-三島-松田-新松田-町田
(5日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
青色が実際に移動した軌跡。)
この日は岐阜県の日本大正村と静岡県の駿府城公園の観光と、明知鉄道、静岡鉄道、岳南電車、伊豆箱根
鉄道(駿豆線)の4つの路線の乗り鉄をして自宅に帰る、というルートである。
最初に、多治見からJR中央西線で恵那まで行き、恵那で明知鉄道で終点の明智まで向かう。多治見 7:15 発
の電車に間に合うべくホテルで急いで朝食(6:45~)をとったが、遅れる可能性があったのでフロントで荷物を
預けてから朝食会場に向かった。多治見駅まで急ぎ足で何とか 7:15 の電車に間に合い、恵那には 7:50 の到着。
恵那から 8:03発の明知鉄道に乗り換える。明知鉄道は恵那-明智の 25.1km を結ぶ全線非電化の路線で、
岩村城跡が有名な岩村のほか「極楽」という珍しい駅名もある。 終着の明智には 8:54 に到着。なお、鉄道
会社名は「明知」鉄道であるが、終着駅は「明智」駅となっているのは、鉄道開通当時はこの地は「明知町」で
あったがその後に市町村合併などで現在は「岐阜県恵那市明智町」となっているため終着駅名を「明知」から
「明智」に変更したが、鉄道会社名は以前のものを使っているためである。
(日本大正村の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
日本大正村は、1989年に当時の「明知町」の町おこしとして構想・立村され、特定の敷地内に設けられた
施設ではなく、街(明知町)として大正時代の雰囲気を保存・再現した店舗、資料館、博物館などが軒を
連ねている。何故「大正」村なのかは不明であるが、愛知県の明治村が既に 1965 年にオープンしていた
ことが一因であると推測する。 なお昭和村は同じ岐阜県のほか福島県や群馬県にも存在しており、
平成村は岐阜県にある。
日本大正村の初代村長は高峰三枝子、司葉子が二代目村長、現在は竹下景子が三代目村長に就任
している。 大正村へは、大昔(1997年春)に家族旅行で行った事があり、2012年秋に香嵐渓、妻籠、馬籠
へ家族旅行した時にも少しだけ立ち寄ったので今回で3回目の訪問であるが、鉄道利用は今回が初めて
である。明智駅で観光パンフレットを入手し、少し歩くと大正浪漫亭に着いた。ここは内部にレストランや
カフェがあるが、この日はイベントがあるらしく建物前の広場にたくさんの外車と多くの人達が集まっていて、
建物内に入りにくい雰囲気だったので、建物横の大正時代のたたずまいを色濃く残す「大正路地」を
登って行くことにした。
少し歩くと「日本大正村役場」が見えてきた。ここは1906年(明治39年)に町庁舎として建てられた建物で、
1957年(昭和32年)まで現役の町役場として使われていた。現在は無料休憩所として中にも入る事ができる。
さらに大正路地を登っていくと「大正ロマン館」の大きな建物が見えてきた。この大正モダンをイメージをした
洋風建築は初代大正村村長高峰三枝子氏と村議会議長春日野清隆氏の記念館となっており、中の展示室
には大正時代のヨーロッパの家具などが展示されている。またここは様々な企画展の会場になっており、
この日は次週の展示準備のため残念ながら中に入る事はできなかった。 大正ロマン館の裏側には300年
を超える歴史を持つ「旧三宅家」の旧宅があり、近世の農家建築の構造を知ることができる。更に上に行くと
「明知城跡」の標識があったが、今回はパスして「大正村資料館」の方へと向かう。途中、今年3月28日に
オープンしたばかりの「司葉子記念館」と「逓信資料館」があった。逓信資料館は中に入る事ができ、
電信・電話の歴史資料が展示されていた。「大正村資料館・大正の館」で3館共通券を購入したが、この日
は「大正ロマン館」が入場できなかったので「大正時代館」との2館共通券となった。「大正村資料館・大正
の館」は当治末期の建築で、町のシンボルの「銀行蔵」と隣りの「大正の館」より構成されており、これらの
建物の中には様々な大正文化の資料を展示している。ただし全てが大正時代のものではなく、昭和の
なつかしい映画のポスターなどの展示もあった。 次に「大正時代館」へと向かうが途中には「うかれ横丁」
の路地があり、通りには道路を跨ぐ渡り廊下のある家もあった。更に進むと「旧街道の交差点」というスポット
があったが、ここは中馬街道(三河湾で取れた塩を信州に運ぶための塩の道)と南北街道(中津川から
飛騨へ向かう旧飛騨街道)との合流点である。 「大正時代館」の入口は喫茶天久という名の今でも現役
の喫茶店であり、中に入り右方向に進んでいると大正時代にこだわった各種資料が展示されている資料館
となり、大正時代の標準的な家庭を様々な生活道具によって再現した生活情景展示などがある。また
大正天皇に関する資料もいろいろと展示されていた。
日本大正村の写真
約1時間半の日本大正村の散策を楽しんだあと、明智 10:27 発の明知鉄道の列車で恵那へと引き返す。
途中「極楽」駅というめずらしい駅名の駅があったが、ここは近くにある極楽寺という寺院に由来している。
しかしこの無人駅は最近クラウドファンディングによる寄付金などを使って改修され、斤斗雲(きんとうん)
をいただいたベンチ付き待合所や後光が差すように写真撮影できるスポットが置かれた。この日も2人の
乗客がここで下車していた。恵那には 10:27 に到着。 恵那からはJR中央西線とJR東海道本線を乗り継ぎ
浜松に 14:15 に到着し、浜松-静岡間は東海道新幹線を利用した。青春18キップと異なり、JR東海&
16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷは別途特急券を購入すれば新幹線にも乗車できるので非常に便利である。
(しかも浜松-静岡間の特急料金は特定区間なので 990円と格安である)浜松えきでの新幹線接続時間
が2分しか無かったが、過去何度も乗り換えていて慣れているので何とか間に合った。
さすがに新幹線は速く浜松-静岡間は20分しかかからず、静岡には 14:37 の到着。
(駿府城公園の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
次は、新静岡-新清水間の静岡鉄道への乗り鉄であるが、新静岡駅が駿府城公園の近くなので駿府城公園へ
立ち寄る事にした。 駿府城(すんぷじょう)は徳川家康公の居城で大御所の城と言われ、江戸初期には大御所
政治(駿府政権)の中心地となったところであったが、その後城主が不在となり、明治初期にはかなり荒廃して
いた。 平成に入り、巽櫓(たつみやぐら)、東御門、坤櫓(ひつじさるやぐら)が復元され、現在は本丸と
二の丸の城跡が都市公園として整備され、2012年(平成24年)4月に名称が駿府城公園となった。
この日も多くの若者たちがこの公園を訪れていて人口密度はとても「密」であった。
駿府城公園の近くの新静岡駅から 15:20 発静岡鉄道の新清水行きの電車に乗車したが、この区間は乗客が
多いためか10分間隔の運転であった。新清水までは21分の所要時間で、新清水の手前の駅まではJR東海道
本線と並行して走っていたが、その後両者は離れていき、新清水駅とJR清水駅は徒歩で10分以上の距離に
なっていた。
明智駅-駿府城公園-新清水の写真
新清水駅から商店街を通りJR清水駅まで行き、清水 16:04 の電車に乗車。次は岳南電車への乗り鉄で接続駅
の吉原には 16:31 に到着。 岳南電車の岳南線は吉原-岳南江尾駅(がくなんえのおえき)間の 9.2km を結ぶ
電化路線で沿線には工場も多いので工場夜景電車もあが、一番の特徴は全10駅の全てから富士山を望む事が
でき各駅には富士山の眺望ポイントがある事である。 また新幹線+富士山の絶景ポイントもあるので、撮り鉄
には人気があるとの事である。実際、今回の片道約20分の乗車中、ずっと富士山を見る事ができた。 途中の
岳南富士岡駅には車庫があり、ここで点検・整備が行われているが、何故が古い電気機関車が停車していた。
岳南鉄道で富士山の眺望を楽しんだ後、本日最後の乗り鉄路線である、伊豆箱根鉄道(駿豆線)に乗車するため、
吉原から三島へと向かう。 吉原 17:50 発の電車で沼津で乗り換えて三島には 18:14 の到着。
岳南電車・伊豆箱根鉄道(駿豆線)の写真
伊豆箱根鉄道(駿豆線:すんずせん)は三島-修善寺間の 19.8km を結ぶ路線で、JRの特急踊り子号も乗り
入れているので観光路線でもある。 三島から途中の伊豆長岡までは会社時代に何回か乗車した事があるが、
伊豆長岡-修善寺間は今回が初めてであった。 しかし、もうすっかり日が落ちているので車窓は楽しめず、
単に三島-修善寺間の乗車実績を作っただけだった。修善寺から三島へ折り返して三島には 19:44 の到着。
三島から 20:11 発の沼津経由の御殿場線の電車に乗り、小田急との接続駅の松田駅には 21:27 の到着と
なった。松田はJR東海管轄の駅なので、この駅までJR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷが使えるのは
とてもありがたい。小田急の新松田駅から町田で乗り換え自宅の最寄り駅の玉川学園前に 22:38 の到着
だったので、23時前に自宅に着くことができた。
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