5日目 12月28日(土)
 松阪-(松阪市内散策)-伊賀神戸-伊賀市-(上野城周辺散策)-伊賀上野-亀山-名古屋-豊橋  豊橋(泊)

 この日は、午前中に松阪市内(松坂城と譲を散策し、午後は上野城周辺を散策して豊橋まで向かうという計画である。



 (5日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)

 最初に松坂城へと向かう。 なお、市の名前と駅名は「松坂」(読み方は、まつさか)が正しいが城名は「松坂」城が正しいらしい。過去にいろいろと複雑な経緯があったようだが、
 結論として、明治以前つまり1867年までは「松坂」、1868年からは「松阪」を用いる事が慣習となった。 お城が最初にできたのは明治時代以前なので「松坂城」が正しいようである。
 実際に城趾公園の石碑にも「史跡 松坂城跡」となっている。
 城趾公園に着いたのは朝8時半頃であり、公園内の「松阪市立歴史民俗資料館」や「本居宣長記念館」は開館が 9:00 ~なので、開館時間まで松坂城趾を散策する事とした。
 松坂城は 1588年(天正16年)に蒲生氏郷によって築城された城で、かつては天守を持ち総延長2kmに及ぶ堀と豪壮な石垣に守られていた。大きな城であったが、今は石垣を残すのみ
 となっており、桜や藤の名所となっている。(桜のシーズン中は夜間のライトアップも実施されるとの事である。) 高台に築かれた月見櫓跡から街を一望する事ができ、ここで三脚と
 タイマー付きシャッターで自撮りをしてみた。



  (松阪市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)

 城趾公園を散策しているうちに午前9時になったので、「松阪市立歴史民俗資料館」は、松阪市の歴史・民俗についての展示物が多く、1階は松阪商人、2階は伊勢白粉と松阪木綿に関する
 資料が展示されている。 またこの資料館の趣があり、建物は 1912年につくられた図書館を利用したもので 1997年9月に本館と倉庫が日本国の登録有形文化財に登録された。
 次に、本居宣長旧宅(鈴屋)と本居宣長記念館へと向かう。本居宣長は江戸時代の国学者であり医師でもあったが、特に古事記の研究が有名である。記念館には宣長の自筆稿本や自愛の品
 約16,000点が収蔵されている。その隣りは宣長が12歳から亡くなるまで暮らした旧宅「鈴屋」(国指定特別史跡)があり、宣長の当時の生活を垣間見ることができる。旧宅の中に入る事が
 できるが、現在は建物が老朽化しているため2階には上がれなくなったが、2階には宣長が用があるときに鳴らしたという鈴が再現されてるとの事である。(このため、この旧居が「鈴屋」
 と呼ばれている)

   松阪市内散策の写真

 次に「小津安二郎青春館」を訪問する。 東京物語などの映画監督で有名な小津安二郎は、9歳で松阪に住まいを移し青春時代の約10年間をここで過ごし、その後映画人生を歩むことに
 なったわけだが、小津作品のテーマとなっている「家族愛」は、松阪での生活や体験がその背景にあるものと思われる。小津安二郎青春館は、彼の青春時代を彷彿させる品物や関係写真などで
 当時を再現するとともに監督の代表作品や関連資料を展示しているこじんまりとした小さな資料館で、嬉しいことに入場は無料であった。 青春館の入口には小津監督の代表的な5つの作品の
 映画看板がかかっており郷愁を誘う。

 松阪市内散策を終え、松阪 10:54 発の近鉄線の電車で伊賀上野城を目指す。途中の伊勢中川で乗り換え、伊賀神戸には 11:39 の到着。ここから更に伊賀鉄道線の乗り換え、伊賀神戸 12:12
 発の電車に乗り上野市駅には 12:44 の到着となった。 この当たりも市の名称でもめたところで、伊賀市、伊賀上野市、上野市という案の中から最終的に伊賀市となった。しかし「上野市駅」
 には「伊賀」の文字がなく更に最近では駅舎には「忍者市駅」という駅名が大きく表示されて下部に小さく「上野市駅」という表示があるだけである。

   伊賀上野城と周辺散策の写真

 最初に、伊賀上野城への上り道の途中にある「だんじり会館」へと向かう。「だんじり」とは、日本の祭礼に奉納される山車(だし)を指す西日本特有の呼称で、会館では上野天神祭で使われる
 全9基のだんじりのうち3基を半年交代で展示しているとともに、この伊賀の祭りを大きなスクリーンで音と映像で体感することができる。更に館内には忍者衣装を貸し出す「忍者変身処」も
 あり、当日は外国人観光客が利用していた。
 次に、伊賀上野城へと向かう。この城は徳川家康の命を受けて藤堂高虎が大改修を行い現在は当時の内堀と石垣、昭和10年に建てられた天守閣が残っている。城内は藤堂家ゆかりの文化産業資料
 が展示されている。現在の3層の天守は 1935年(昭和10年)に建てられたもので、3階は城下町の景観が一望できる展望所となっており、この日は天気が良く天守からの眺望を楽しむ事ができた。
 またこの城は高い石垣が特徴となっており、石垣の上から下を見るだけでも足がふるえてしまいようである。



  (伊賀上野城と周辺散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)

 最後に伊賀流忍者博物館(忍者屋敷)へと向かう。途中に俳聖殿(はいせいでん)という丸い屋根の八角形の建物があった。松尾芭蕉は伊賀市で1644年に生まれ、この俳聖殿は昭和17年(1942年)
 に芭蕉生誕300年を記念して建設されたものであり、またお城の近くに「芭蕉翁記念館」があるが、この芭蕉にゆかりのある観光スポットは残念ながら年末年始休暇に入っていたため休館であった。
 ちなみに、伊賀上野城や伊賀流忍者博物館はこの日(12月28日)が年内最後の営業日であった。
 伊賀流忍者博物館の中は、伊賀流忍者屋敷、忍術体験館、忍者伝承館に分けられている。伊賀流忍者屋敷は外見は農民の住まいそのものであるが中に「どんでん返し」「抜け道」「隠し戸」「刀隠し」
 などの仕掛け/からくりを備えており、女性スタッフ(女忍者 くノ一)が室内に仕掛けられた数々の仕掛け/からくりを実演して案内している。忍術体験館は、忍者が作戦実行のために使った
 道具について学び、また、それらの一部を実際に使ってみることもできるようになっている。忍者伝承館は、忍術(暗号、九字法、人相学など)を学んだり、忍者の日常生活や知恵についての事例が
 紹介されている。 この日は忍術体験広場で実施される 2019年 最後の忍術ショー(別料金500円)が開催されるので、これを見学した。当時の忍者が実際に使用されていた忍具(手裏剣、刀、鎖鎌等)
 を使った実演は迫力満点であった。実演したスタッフは男性2名、女性2名であったが、そのうちの女性1名はテレビの旅番組に何回か出演されている方であった。

   伊賀市から豊橋までの写真

 伊賀上野城周辺の観光を終え、上野市 15:46 の電車に乗り、JR関西本線の伊賀上野駅へと向かう。伊賀上野駅構内は忍者の絵があちらこちらにあって鉄道利用者を楽しませてくれる。
 伊賀上野 16:19 発の亀山行き列車に乗車したが、昨日のJR湖西線の遅れのため伊賀上野-亀山間は24時間前にもこの列車に乗車している。本日は亀山で名古屋行きの電車に乗り、名古屋で豊橋行きの
 快速電車に乗り換え、豊橋には 19:39 の到着であった。今夜もホテルルートイン系列の「ホテルルートイン豊橋駅前」の宿泊となった。


   旅行記(6日目)


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