3日目 12月26日(木)
金沢-七尾-(のと鉄道)-穴水-(のと鉄道)-和倉温泉-金沢(市内散策) 金沢(連泊)
この日は、早朝にJR七尾線の列車金沢を出発し、その後「のと鉄道」に乗車した後、再び金沢に戻り、その後金沢市内散策を行い、「ホテルルートイン金沢駅前」に連泊する、というコースである。
なお、この日は青春18キップを使わず、昨日購入した「北陸トライアングルルートきっぷ」での鉄道旅である。
(3日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
金沢 5:29 発のJR七尾線直通の七尾行きの各停の電車に乗車する。金沢から3駅目の津幡(つばた)から七尾線に入る。なおJR七尾線は津幡から和倉温泉までで、この区間は電化されているが、
ほとんどの各停電車は1つ手前の七尾止まりで、のと鉄道は七尾が始発となっている。 七尾線沿線には、UFOが出没する噂が多くUFOのまちと呼ばれ近くに宇宙博物館もある羽咋(はくい)、
かつて北前船の寄港地として栄えたまちの雰囲気が残っている一本杉通りがある七尾、全国の旅行会社が投票する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で36年連続「日本一」に選ばれた「加賀屋」
のある加賀温泉、といろいろと魅力のある観光スポットが多く、また金沢-加賀温泉間には特急列車も走っている。さらに2021年までにJR西日本のICカード乗車券「ICOCA」を使えるようにする等の
計画もあり、ローカル線というより幹線のような様相となっている。しかし、今回は和倉温泉-穴水間の「のと鉄道」への乗り鉄をと金沢市内散策を優先させたので、残念ながら羽咋散策は割愛した。
金沢を早朝に出発した電車は、約100分ほどかかってこの電車の終着の七尾に到着。七尾では6分の接続で穴水行きのディーゼルカーへ乗り換える。かつて旧国鉄を引き継いだ「のと鉄道」は
穴水から先、穴水-輪島間、および穴水-蛸島間の2つの路線があったが、過疎化による乗客減少等でそれぞれ2001年と2005年に廃止されてしまった。残っている和倉温泉-穴水間も決して乗客は
多くないと思うが、のと鉄道では観光列車「のと山里山海」号を運行し集客に頑張っている。今回七尾駅で乗り換えた 7:12 発穴水行きの列車は「のと山里山海」号の車両で車内はクリスマスツリー等
の装飾が施されており観光列車に乗車した気分だった。 穴水には 7:51 到着。 しかし、穴水 7:59 発の和倉温泉方面の帰りの列車は、観光列車ではなく普通の車両であった。 穴水-七尾間の
路線は七尾(南)湾に沿って走るので時々海が見えたが、この日は小雨の悪天候のため、残念ながらあまりきれいな車窓は楽しめなかった。
和倉温泉で、金沢行きの特急「能登かがり火4号」に乗り換える。この特急電車は停車駅が七尾と羽咋だけで、和倉温泉-金沢間が64分しかかからないので、非常に快適であった。
金沢には 9:45 の到着。
JR七尾線とのと鉄道の写真
天候はあいにくの小雨状態であるが、気を取り直して金沢市内散策をするため北陸鉄道バスが発売している500円の1日フリー乗車券を購入し、最初に「ひがし茶屋街」へと向かう。
ひがし茶屋街は江戸時代後期から明治時代初期にかけて建てられた独特の茶屋まとまって残っており国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。天気が良ければ散策には楽しいところであるが
雨の中をゆっくりと歩く気がせず、急ぎ足でひととおり回るにとどめた。以前にひがし茶屋街で「あめの俵屋 本店」の写真を見かけたことがあるので探してみたが残念ながら見つからなかった。
雨天という事で、次は近くの「金沢蓄音器館」を訪れた。ここは初代の館長である故八日市屋浩志氏が収集したものを金沢市が譲り受け、2001年7月に開館した。本館は約600台の蓄音機を収蔵し、
そのうち150台を常時展示しおり、いろいろなタイプの異なる蓄音器を聴き比べる実演コーナーもあり、蓄音機による音の違いを実感できたが、実演のSPレコードは聴くたびに音の溝が磨り減って
いくので、実演するレコードが無くなってしまうのではないか気になってしまう。実演コーナーには10人くらいの参加者がいたが、多くの人達はCD-ROMに代表されるデジタル音源に比べ、ソフトで
暖かみのあるレコードのアナログ音源を気に入っていたようである。
(金沢市内の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
次に兼六園の近くにある現代アート作品を集めた「金沢21世紀美術館」に入る予定だったが何と改修工事のため 2019.12.20 ~ 2020.2.3 まで休館であったので、次はバスで「にし茶屋街」方面へと
足を運ぶ。にし茶屋街の近くに人気の観光スポットである忍者寺(正式名称は日蓮宗/正久山 妙立寺)があり、ガイドブックでは拝観するのに事前予約が必要との情報だったが、オフシーズンの平日
という事で当日でも予約でき20分ほどで中に入れたのはラッキーであった。 なお、この寺は伊賀や甲賀の忍者とは全く関係がなく、金沢城の出城として敵を避けるため巧妙な仕掛けが張りめぐら
されているため通称「忍者寺」と呼ばれているのである。 落とし穴になっている賽銭箱、物置の戸を開いて床板をまくると階段が現れる隠し階段、床板をはずすと落とし穴となる落とし穴階段、など
楽しいカラクリがたくさんあった。 忍者寺を出て少し歩き「にし茶屋街」まで来たが、「ひがし茶屋街」に比べ規模は小さくお店も少なかった。
次に「室生犀星記念館」へと足を運ぶ。 金沢に生まれた室生犀星は養父母のもとで育ったが、文学への思いを募らせて20歳で単身上京し生活苦にあえぐなかで数々の詩や小説をつくった。
不遇な出生をのりこえて描かれた犀星文学は、故郷の山河に対する深い思いや、小さな命、弱いものへの慈しみの心があふれ、人生への力強い賛歌ともなっている。 私が高校生kyらいの頃、
彼の「小景異情」という詩集の中で、「ふるさとは遠きにありて思ふもの………………………遠きみやこにかへらばや」という有名なくだりがあるが、この「みやこ」とは金沢なのか否か?
という事で諸説ある、と習った事を思い出した。 この室生犀星記念館は彼の生家跡に建てられ、彼の作品や遺品などが展示されている。
なお記念館の近くに、彼が幼少の時もらわれた雨宝院があり、ここに彼の作品「性に眼覚める頃」の一節が記載されていた。
金沢市内散策の写真
最後に、日本三景の1つである兼六園へ向かうため再びバスで移動する。 兼六園は何と65才以上は入場料が無料であった。兼六園の中に有料の成巽閣(せいそんかく)があったので入場した。
成巽閣は加賀藩13代藩主・前田斉泰が母の隠居所として建てた歴史的建造物で、今は歴史博物館として一般公開されている。 成巽閣の内部はいろいろと目を引くものがあり、謁見の間の欄間、
鮮やかな群青色で染められた空間のある「群青の間」が特に印象に残った。
最後に兼六園内を散策する。兼六園は、春は桜、秋は紅葉が綺麗なところである。12月の兼六園にはほとんど花は咲いていないが、「雪吊り」の作業はほとんど終わっていた。「雪吊り」とは
北陸地方特有の重たい雪で枝が折れるのを防ぐためのもので、木の頂点から傘のように広げられた縄は美しい幾何学模様を描き、兼六園の冬の風景に見事なアクセントを加えている。
今回兼六園を一周ブラブラと散策したが、広さが11.4ヘクタールと広いので結構良い運動になった。 また外国人観光客も多かった。
この日は朝早くから活動したので、夕方には昨日から連泊しているホテルルートイン金沢駅前に早めにもどり、就寝も9時過ぎと早かった。
旅行記(4日目)
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