1日目 3月18日(月)
町田(自宅 3月19日夜発 小田急線)-小田原-大垣-米原-敦賀-今床(今床散策)-越前花堂-九頭竜湖-福井-金沢-高岡(高岡散策)-富山 富山(泊)
この日は、臨時快速のムーンライト「ながら」を乗り継いで午前中に今庄宿を散策後、JR越美北線で九頭竜湖までを往復し、さらに高岡を散策後、富山に宿泊。
(1日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
毎年春に青春18キップを使った旅行は全車座席指定の臨時快速「ムーンライトながら」を利用する事が恒例となった。今年も東京発3月17日夜に出発する
指定席が確保ができたので、小田原(0:31 発)から乗車した。 今回から、ダイヤが少し変更されたようで、浜松での発車時刻が早くなり、岐阜では高山本線の
下り始発列車に接続するようになっていた。大垣から米原行きの電車に乗り換える点は毎年恒例であるが、今回は初めて米原から敦賀行きの北陸本線の電車に
乗り換えた。 更に終点の敦賀から福井行きの電車に乗り換えて、最初の散策地である今庄(いまじょう)で下車する。
(今庄宿の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
JR今庄駅から歩いてすぐのところに、かつて越前と若狭を結ぶ北国街道の宿場町として栄えた今庄宿があり、現在でも全長約1kmほど古い町並みが残っている。
今庄駅から徒歩5分ほどの場所にある昭和会館は、昭和5年に今庄の "偉人" 田中和吉が私財を投じて建てた建物で、現在は公民館や地域の交流の場として活用
されている。更に少し歩くと「旅籠 若狭屋」があり、幕末時に約55軒あった旅籠屋の中で最大のものであった。現在は地元NPOが管理して、まちづくりの拠点
として活用しているようだが、この日は朝早かったため閉館であった。 すぐ近くにある「京藤甚五郎家」は今庄宿有数の旧家で当家の財力がうかがえる。
向かいには、江戸時代から続いている酒蔵の1つである「堀口酒造有限会社」の建物も残っている。更に歩いて行くと藩札の両替所であった「御札場跡」があり、
ここで人々は金銀と藩札との両替を行っていた。 短時間であったが、今庄宿の散策を楽しみ、今庄駅へと引き返す。
自宅~今庄宿までの写真
次は、今庄駅から福井まで行き、福井から越美北線(九頭竜湖線)で九頭竜湖まで往復する行程であるが、今庄にて福井行きの電車が遅れていたので、越美北線
へは福井の1つ手前の越前花堂(えちぜんはなんどう)で乗り換えた。 もともと、福井と岐阜県の美濃太田を結ぶ予定として越美線が計画されており、
国鉄時代は福井-九頭竜湖の越美北線と北濃-美濃太田の越美南線の2線に分離された状態であったが、全線開通は実現せず、さらに越美南線は第三セクターの
長良川鉄道に移管されてしまった。 越美北線の主要駅である越前大野はかつて私の両親が住んでいたゆかりの地であるが、今回は残念ながら散策はパスした。
そういう縁で越美北線の福井-越前大野間は何回か乗車した経験があるが、越前大野-九頭竜湖間は今回が初めての乗車である。
終点の九頭竜湖駅は道の駅に隣接しており昨年(2018年)7月に家族旅行でドライブしたところなので、まだ記憶に新しいところである。
越前花堂に 9:13 に乗車し、九頭竜湖まで往復して福井駅に到着したのが 12:22 なので、約3時間ほどの寄り道となった。
今庄駅~高岡までの写真
福井から金沢方面は日中は普通電車は1時間に1本程度しか走っていないので、待ち時間を利用して昼食として「越前そば」を食べる時間を確保できた。
福井-金沢間は各停電車で約1時間40分ほどかかるが、途中の沿線では北陸新幹線の延長部分(金沢-敦賀間)の工事が急ピッチで行われていた。
金沢で第三セクターのIRいしかわ鉄道に乗り換える。 金沢-富山間(旧北陸本線在来線)は、金沢-倶利伽羅(くりから)間の石川県エリアがIRいしかわ鉄道
路線でそれ以降の富山県エリアがあいの風とやま鉄道の路線になっているが、実際には両社の車両が相互に乗り入れているため、利用者は金沢ー富山間を
乗り換え無しで乗車する事が可能となっている。 金沢から40分程で高岡駅に到着。 いつもは素通りの高岡であるが、今回は散策する事にした。
(高岡市内の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
高岡市は、加賀前田家2代当主前田利長が高岡城を築き城下町として発展し、高岡城の廃城後は商工業都市として発展し、伝統工芸の高岡銅器に代表される
鋳物の生産が盛んなところである。 「高岡大仏」は、奈良、鎌倉につぐ日本3大仏に数えられるもので、伝統の銅器製造技術の粋を集め、30年の歳月をかけて
作られたもので、総高15.85m、重量65tというスケールの大きさは圧巻である。 高岡古城公園は、高岡城廃城後も大部分の土塁や堀などは築城当時そのままの姿で
残されている、人工的にあまり手が加えられていない「自然公園」となっているところが特徴である。総面積の約1/3が水濠で、公園内には射水神社のほかに、
工芸都市高岡ならではの“芸術の森”や博物館、自然資料館、動物園、市民体育館、などがあり、心なごむ憩いの場として人々に愛されている。
次に、山町筋 (土蔵造りの町並み)へと向かう。山町筋は高岡開町以来の商人町で、長く高岡のまちの経済を牽引してきたところで、通りには優れた土蔵造りの
家々が立ち並び、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
最後に金屋町(千本格子の家並み)へと向かう。加賀前田家2代当主利長は、領内の砺波郡西部金屋から7人の鋳物師をこの地に呼び寄せ鋳物場を開設させ、
諸税や労役を免除するなど多くの特権を与えて手厚く保護したため、この地に鋳物産業が根付き今日の高岡鋳物発祥の地となっている。現在は多くの工場が郊外に
移転してしまったが、今も千本格子の家並みが大切に保存されており銅片を埋め込んだ石畳にマッチする美しいたたずまいを見せている。ここは 2012(平成24年)に、
鋳物師町として全国で初めて、伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。
町並み散策は夕方の時間帯になったため、お店などは閉店してしまっていたが、古い町並みをのんびりと楽しく散策する事ができた。
高岡市内の写真
高岡からあいの風とやま鉄道で富山へと向かい、富山からは路面電車で今夜の宿である「天然温泉 富山 剱の湯 御宿 野乃」は、ドーミーインチェーンの宿で
あるが、ほぼ全館が畳敷きの完全に和の様式の宿で、とても居心地が良かった。
旅行記(2日目)
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