6日目 3月23日(金)
塩尻-木曽平沢(平沢散策)-贄川(贄川関所めぐり)‥‥(バス)‥‥奈良井(奈良井 散策)-松本-姨捨(姨捨散策)-松本-大月-八王子-町田 自宅(泊)
この日は、奈良井宿周辺と姨捨山駅を散策後、中央線で八王子まで戻り、横浜線で町田まで移動し帰宅する、というコースである。
(6日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
今回宿泊した「ホテル中村屋」の朝食はバイキングでなく普通の朝定食であったが、久しぶりで朝定食を食べた気がした。
塩尻 8:17 の電車に乗り木曽平沢で下車し、漆器の産地で重要伝統的構造物群保存地区となっている木曽平沢の町を散策する。ここは漆器生産のための職人の住居や蔵が
並んでおり、江戸時代のものだけでなく大正時代から戦前にかけての建物や戦後の建物も保存されており、宿場町というより「漆器の町」の様相のところである。
今回は行けなかったが近くに木曽漆器館があり、ここで木曽平沢の漆器に関する資料で展示物を見ることができる。
塩尻から木曽平沢までの写真
(木曽平沢と奈良井宿の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
次に、木曽平沢から1駅塩尻寄りの贄川(にえかわ)駅にもどり、贄川関所へと向かう。 木曽路の北側は贄川宿から始まっていたが、この北の要所にあったのが贄川関所で
主に「出女」を取り締まっていたところである。 贄川の集落は昭和5年(1930年)に起きた大火で大半が焼失したため、今の贄川関所は実際に関所があった場所のそば
(実際の場所は現在のJR敷地内)に間取りや敷地面積も忠実に復元されたものである。階下の木曽考古館では縄文時代の土器・石器などの展示のほか、木曽路に関する
いろいろなパンフレットも置いてあった。 関所のあと、贄川宿を散策したが、大火を免れて残っているのは深澤家住宅だけ、との事であった。途中贄川郵便局前にある
郵便ポストには「LETTER」という文字が入っていたが、これは全国に3台しか残っていない貴重品らしい。
贄川関所と贄川宿の写真
贄川関所から、塩尻-奈良井間を走っている塩尻市コミュニティバスに乗り奈良井宿へと向かう。このバスは主に旧中山道を走るバスであるが料金が100円均一料金と安く
途中病院へも立ち寄るため、この日も地域のお年寄りが利用していた。 奈良井駅前に 11:05 到着。
奈良井宿はこの先に難所の鳥居峠があるため、当時は多くの旅人で栄え「奈良井千軒」と言われたところであり、今も建物の保存状態は良い。最初に奈良井駅の近くの
木曽の大橋に行こうとしたが、雪道で大橋までの道が全く除雪されていないので断念し、奈良井宿の街並みを散策することにした。 奈良井宿には以前夏休みに家族旅行で
来た事があり、その時は賑わっていていろいろな雑貨品をお土産に買った記憶があるが、この日はあまり活気が無かった。そのあたりを観光案内所の人に訊いてみたところ
今はまだオフシーズンのため開いているお店も少ないが、ゴールデンウイーク頃から徐々に賑わってくるだろう、とのコメントであった。 今回奈良井宿では、昼食の蕎麦
を食べたのと、元櫛問屋の中村邸に入場した。漆櫛の商いをしていた中村邸は、奈良井宿の典型的な民家造りの家で、商談ようの部屋とか使用人の部屋などの展示があり
興味深かった。
奈良井宿の写真
奈良井 13:25 発の電車で、松本乗り換えで今回の旅行の最後の観光スポットのJR姨捨(おばすて)駅へと向かう。 姨捨駅ホームから日本三大車窓の絶景と言われて
いたので、以前から実際にホームに立って絶景を見たいと思っていたが、実際に見てみるとホームそのものが善光寺平(ぜんこうじだいら:長野市を中心とした長野盆地の
別な呼び名)を一望する展望台となっており、山々に囲まれた細長い盆地の中央に千曲川がゆったりと流れている様子も見る事ができ、確かに絶景であった。
ここは夜景もすばらしいとのことなので機会があれば夜景も見たいところである。
姨捨駅ではスイッチバックも有名であるが、実際にスイッチバックを行うのは姨捨駅と次の稲荷山(いなりやま)間なので、今回は長野方面から来る電車がスイッチバック
走行している光景や特急電車が姨捨駅の下側線路を通って姨捨駅を通過する様子を楽しんだ。
姨捨駅の写真
姨捨を 15:40 発の電車で松本に引き返し、松本から大月行きの電車に乗車、さらに大月駅と八王子駅で乗り換え町田駅まで約5時間半電車に乗って自宅には22時頃に
たどり着いた。
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