5日目 3月26日(木)
鳥取-智頭-津山-佐用-播磨新宮-本竜野(散策)-姫路-米原-浜松-小田原-町田
この日は、鳥取から因美線で智頭まで行き、私鉄の智頭急行ではなく、因美線の列車を乗り継ぎ津山まで行き、津山から姫新線
の列車に乗り、佐用と播磨新宮で乗り換え、本竜野で下車し、龍野の散策を行った後、姫路まで行き、そこから帰路へと向かう。
(5日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
赤色が実際に移動した軌跡。 なお、姫路から自宅の東京までの区間は表示を省略)
鳥取駅の有名駅弁の「元祖かに寿司」を買い、鳥取発 7:23 の列車で智頭へ向かう。単調な車窓を約50分ほど眺め、智頭駅に到着。
智頭から姫新線の佐用までは私鉄の智頭急行線に乗ればかなり時間短縮になるが、今回は因美線と姫新線に乗る事が目的であるので、
智頭からは津山行きの列車に乗り継ぐ。大昔、40年くらい前、岡山-鳥取間に急行列車が走っていた頃、この急行列車に乗った事があるが、
現在は姫路-上郡(JR)、上郡-智頭(智頭急行線)、智頭-鳥取(JR)というコースがメインになっており、特急列車も走っている。
鳥取-津山-佐用-本竜野間の写真
智頭-津山間も単調な風景で、所要時間は約1時間10分で津山駅に到着。津山駅は津山線、姫新線(上り/下り)、因美線が乗り入れて
おり、ホームも4番線まであり、1日の利用者が約1200人ほどである。津山で約30分の接続で佐用行きの列車に乗り換える。
津山-佐用間は以前の2つよりは開けているようである。約1時間ほどで佐用駅に到着。ここで再び智頭急行線と合流する。
ここで播磨新宮行きの列車に約30分ほど乗り、播磨新宮から更に姫路行きの列車に乗り換える。 今までは1日に数本しか走って
いない区間であったが、播磨新宮-姫路間は約30分毎に列車が走っており、急に都会に戻ったような感じである。
播磨新宮から2つ目の本竜野で下車し、龍野を散策する。
(龍野散策。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 赤色が実際に移動した軌跡。)
龍野は脇坂藩の城下町で「播磨の小京都」と言われているが、江戸時代に誕生した「うすくち醤油」を名産品に持っている。
本竜野駅のすぐそばにある貸し自転車屋で、荷物を預け自転車を借りて龍野を散策する。見どころは駅から少し離れているが、
自転車だと5分ほどで行くことができる。揖保川を渡り、市街地に入り、まずは龍野城へと向かう。このあたりは行政区分では
「たつの市龍野町」となっているのが面白い。龍野城は室町時代は山城であったが、その後山麓に平城として建て直され、明治時代の
廃藩置県により取り壊されたが、昭和50年より5年間に、本丸御殿、白亜(はくあ)の城壁、多聞櫓(たもんやぐら)、
埋門(うづみもん)、隅櫓(すみやぐら)などが復元された。
本丸御殿前のベンチで朝購入した「元祖かに寿司」を食べた後、本丸御殿と周辺を散策したが、ふと「古城への道」の案内に
つられて昔の山城跡のある山頂に登ることにしたが、展望も期待したほど良くなく、散策路も整備されておらず、山頂までの距離と
所要時間もわからず、結果的に山頂への散策は失敗であった。
下山して、聚遠亭(しゅうえんてい)へと向かう。その昔、ここからの眺望絶佳をたたえて「聚遠の門(しゅうえんのもん)」と呼ばれ、
いつの頃からか 聚遠亭と名づけらた、との事であるが、心字池(しんじいけ)の上にある茶室は、中へは入れなかったが、庭園、池、
杉垣根などと調和した建物で素敵であった。
坂道を自転車で下ると、桜の名所である龍野公園があり、業者が桜祭りの準備をしていた。公園のそばに、龍野が生誕地である
童謡「赤とんぼ」の作詞者である三木露風にちなんで赤とんぼの歌碑があり、さらに公園横の道を登って行くと、「童謡の小径」が
ある。ここには8つの童謡歌碑があり、歌碑の前に立つとセンサーが働きその童謡もメロディが流れてくる、という工夫がされている。
最後に、「うすくち龍野醤油資料館」に立ち寄る。何とここの入場料は10円であり、これではパンフレットの代金しかカバーできない
であろう。ここは、龍野が本社の「ヒガシマル醤油株式会社」の旧醤油蔵だった建物で、明治初期までの麹屋や仕込蔵を再現している。
またこの建物は国登録有形文化財に指定されている。 近くに「うすくち龍野醤油資料館 別館」もあるが、こちらは土日しか開いて
いないので残念ながら外からの見学となった。 約3時間半の龍野散策を終え、本竜野駅へと戻る。
龍野散策の写真
本竜野から姫路まで行き、姫路から快速電車で帰路に向かう。本日は平日ダイヤだったので、姫路-浜松間は米原で1回乗り換えで
行く事ができた。(姫路発 15:56 - 米原着 18:25 米原発 19:05 - 浜松着 21:47) 浜松発 21:59 のひかり538号で小田原まで
行き、小田原から小田急に乗り換え、自宅に着いたのは翌日の 0:30 頃であった。
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