3日目(4月17日)
 福井(午前中は福井市内散策)-越前大野(大野市内散策)-福井(泊)




 (3日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
  青色が実際に移動した軌跡。)


 この日は、午前中は福井市内を散策し、午後からは大野市を散策し、福井に戻るという行程である。
 連泊なので、散策に不要なものはホテルに置いていき、身軽に出発する。まずは、福井駅からすぐの
 ところにある福井城址へと向かう。




  (福井市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)

 福井城は、徳川家康の次男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、約270年間17代に
 わたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城であったが大火で焼失し、現在では石垣と堀の一部だけ
 が残るのみとなっている。現在、本丸跡地には福井県庁、福井県議会や福井県警察本部が庁舎を構えて
 おり、城跡に行政機関の建物がある珍しいところになっている。訪れたのは朝8時半頃だったので、
 これらの機関への通勤の人達が大勢歩いていた。城趾には、福井の名の起こりとなったという「福の井」
 と呼ばれる井戸跡が天守台下にあり、また山里口御門も復元されており、広大な堀の姿からも、当時の
 規模をうかがい知ることができた。福井城址のある広場を通ったが、ここに岡倉天心の像もあった。
 次に「北の庄城址・柴田公園」を目指す。北の庄城は福井城が築城される以前に同地に存在していた
 もので、柴田勝家が築造した北の庄城の一部が考古学的発掘により初めて検出された遺構の上にある。
 資料館があったが、朝早かったため閉館していた。

   福井城址周辺の写真

 次に、足羽山(あすわやま)公園へと向かう。標高116.4mの足羽山には福井の礎を築いた継体天皇像や、
 十数基にもおよぶ古墳群、自然史博物館などがあり、春には「桜の名所100選」にも選ばれた3,500本の
 桜が綺麗なところである。また、ミニ動物園を備えた足羽山公園遊園地などもある。
 北の庄城址から約10分程歩いて、市電の「足羽山公園口」電停へ行き、そこから更に15分程歩いて
 福井市自然史博物館に到着。ここは福井の自然に関する資料を一堂に集めた博物館で、常設展示では、
 実物標本、ジオラマ、映像などを組み合わせて、福井県内の自然やその生い立ちについてわかりやすく
 展示されており、屋上展望所やテラスからは、福井平野を一望できる。実際は足羽山のビジターセンター
 としての役割がメインなのかもしれない。博物館の近くには継体天皇像があるが、この方は足羽川や
 九頭龍川の治水にあたり笏谷石の採掘をすすめるなど、福井の礎を築いた第26代の天皇で、その功績を
 称えて三段広場頂上に像が建てられている。足羽山公園のメインの観光スポットは遊園地なので、
 そこまで約2kmの道を歩く。途中、多くのテレビ局のアンテナ設備があった。途中に印象的な丸い
 建物があったがこれが「平和塔」で、「仏舎利塔」とも言われ、1954年にインドのネール首相から
 贈られたもの、との事である。「平和塔」からさらに10分程歩いて、足羽山遊園地に到着。
 ここの屋内展示施設「ハピジャン」は、のびのび過ごす動物たちと空間を共有できる施設で何と入場
 無料であった。 ここでは、哺乳類(ポニー、ニホンザル等)、鳥類(オウム・インコ等)、爬虫類
 (ケヅメリクガメ等)を飼育展示している。駐車場が小さいためか、土日にはシャトルバスが運行
 している。 再び継体天皇像の方へ引き返したが、帰りは愛宕坂と呼ばれる階段を下った。

   足羽山公園周辺の写真

 足羽山を下山して、次は「福井市グリフィス記念館」へ向かう。グリフィス記念館は、福井藩の
 お雇い外国人教師であったウィリアム・エリオット・グリフィスの功績をたたえ建てられたもので
 あるが、郷土の歴史等を学ぶ場を提供するとともに、新たなまちなか散策の拠点としてにぎわいを
 創出することも目的に整備されたものである。この建物は、明治6年に焼失した異人館を外観復元した
 もので、基本は洋風建築物であるが、細部においては日本の伝統的な技法である海鼠壁などが施され、
 西洋文化が初めて流入したこの時代にしかない、和と洋が折衷した独創性に富んだ建築となっている。
 1階はグリフィスの肖像写真などがが並ぶ部屋となっており、グリフィスをめぐる様々な人のつながり
 が示されている。2階はグリフィスの執務室をイメージした空間となっており、グリフィスが書いた
 書状や家族への手紙(複製)などが展示されている。グリフィス記念館から少し離れた足羽川のほとり
 には、グリフィスと弟子の日下部太郎の像が設置されていた。
 次に、「名勝 養浩館(ようこうかん)庭園」へと向かう。
 養浩館庭園はかつての福井藩主松平家の別邸であり、数奇屋造りで周囲を回遊式林泉庭園が囲んでいる。
 昭和57年に国の名勝に指定されたのを機に復原がはじまり,平成5年再建された。
 池を取り囲むこぢんまりとした日本庭園は何となく心が穏やかになる。

 福井市内の散策がほぼ終わったので、福井 12:48 発のJR越美北線の列車で越前大野へと向かう。
 大野市には叔母が住んでいたので何回か行った事があるが、今回少し驚いたのは福井発の下り列車の
 始発が 9:21 であった事。確か昔はもっと早い列車があったと記憶しているが、こんな状況では
 越美北線の存続が気になるところである。越前大野には 13:44 の到着。 下車した時、駅員が
 いなかったが、無人駅になってしまったのだろうか。前回はこの駅で駅員から長距離切符を購入
 したので、有人駅だったはずなのだが。



  (大野市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)

 最初に越前大野城を目指す。ちょうど1回100円のまちなか循環バスがあったので、それに乗車して
 「結ステーション」というバス停で下車。大野市の観光パンフレットを見ると「結の故郷 越前おおの」
 と表記されていたが、これは、昔から今日までお互いに助け合う習慣や、様々な地域との絆を大切に
 育んできた大野市を「結」がたくさん詰まった一つの「故郷」と位置付け表現したもの、との事。
 しかし前回(20年以上前?)に行った時はそのような表記がなかったので、これは最近できた
 キャッチフレーズなのであろうか。「結ステーション」というバス停から越前大野城上り口までは
 すぐであるが、途中に「大野市民俗資料館」があったので立ち寄った。ここは以前に裁判所であった
 建物の一部を移築し資料館となったもので、館内では昭和30~40年代までに大野市内で使われていた
 生活の道具や当時撮影された大野の写真を展示されていた。越前大野城上り口から頂上までは徒歩で
 25分くらいかかったが、それなりに観光客も多かった。越前大野城は大野市の中心部にある亀山
 (標高:249m)にそびえる平山城で、天正4年頃(1576)金森長近により4年の歳月をかけて築城された。
 現在の天守は、昭和43年に再建されたもので、歴代城主の遺品が展示されている。4階の展望室からは
 大野市の町並みが眺望でき、碁盤の目状の町並みがしっかりと認識できた。
 なお、この城は朝霧にそびえる天空の城とも呼ばれているので、朝早く来ると違った印象になるの
 かもしれない。次は「御清水(おしょうず)」へと向かう。水の町として知られた大野は地下水が
 豊富で、湧水地が街のいたるところにあるが、この御清水は昭和60年当時の環境庁名水百選にも
 選ばれている。しかし私が行ったときには観光客は誰も居なかった。
 前述のように大野市はすでに他界した叔母が住んでいたので、残りの1時間程は昔歩いた道を
 気ままに散策した。七間通りの朝市の有名であり、まだ続いているようである。

   大野市内の写真

 大野市内を約3時間半ほど散策し、越前大野 17:10 発の列車で福井に引き返す。福井 18:02 到着。
 午前中行った「名勝 養浩館庭園」の隣にある「福井市郷土歴史博物館」は19時まで開館していた
 ので、急いでここに立ち寄る。 ここには、福井藩主であった松平家の資料を中心に、城下町の
 暮らしぶりや戦災、震災などの資料を常設展示している。
 今夜も、「ホテルルートイン福井駅前」の宿泊である。


   旅行記(4日目)


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