2日目(4月16日)
福井-敦賀(レンタカーで熊川宿、三方五湖、敦賀市内などを散策)-福井(泊)
(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
青色が実際に移動した軌跡。)
この日は、敦賀駅でレンタカーを借用し、敦賀周辺を散策する予定であったが、絶対に外せないポイントは
三方五湖であった。しかし、この日は午前中はあまり天気が良くない予報だったので、最初に熊川宿へ行く事
にした。 福井 7:38 発の「つるぎ5号」で、敦賀までの北陸新幹線延伸区間に乗車し、敦賀 7:59 に到着。
新幹線の乗客の大半は、名古屋方面や大阪方面の在来線特急への乗り換え客であった。私は敦賀駅で下車したが
何故か大人の休日倶楽部の北陸フリーキップでは自動改札口を通過できなかった。駅員に訊くと、まだシステム
上の問題点が残っている、との事であった。
敦賀駅でトヨタレンタカーを利用して、まずは熊川宿へと向かう。
熊川宿は若狭と京都をつなぐ「鯖街道」にある宿場町で、今も残る江戸期に形成された町並みは、平成8年に
重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成27年に「御食国若狭と鯖街道」として日本遺産に認定された。
今回は、「道の駅 若狭熊川宿」に車を置いて、全長 1.1km の古い街並みを散策する事にした。
(熊川宿散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
街並みを歩いて気がついたのは、電柱が撤去されている事であった。地域と行政が一体となって街並みを保存
している姿勢が伝わってくる。しかし、なかには倒壊した家屋も見られた。途中の宿場館から脇道に入ると、
熊川陣屋跡の広場かあり、そこから熊川城跡への散策路があったので行ってみることにした。誰ともすれ違わ
ない山道を15分ほど歩いて頂上に着いたが特に眺望が良いわけではなかったので、すぐに引き返し、再び
熊川宿の散策を再開する。大きく曲がる「まがり」というところを過ぎ300mほどで熊川宿の反対側の入口
に到着したので、車を駐車した道の駅方面に引き返す。先ほど印象に残った近代洋風の建物である宿場館は
中に入れたので、熊川の歴史に関する展示物を見る事ができた。
熊川宿の写真
道の駅を出発して、本日の目玉スポットである三方(みかた)五湖へと向かう。三方五湖は、福井県美浜町と
若狭町にまたがる三方(みかた)湖、水月(すいげつ)湖、菅(すが)湖、久々子(くぐし)湖、日向(ひるが)
湖の5つの湖の総称である。国道27号線からわかれてしばらく走り「レインバーライン」の日向ゲートに
入り公園駐車場まで進む。ここから先は、ロープウェイまたはリフトに乗り、山頂に到着。
(三方五湖散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
山頂は意外と広く、絶景を楽しめる5つのテラスがあり、散策路も整備されている。さすがにここからの
展望は三方五湖や日本海を眺望できる絶景ポイントであり、天気も良かったので十分に楽しんだ。
山頂公園を散策すると、恋人の聖地「幸せの鐘」もあり、若いカップルも多かった。五湖庵という和風カフェ
で、コーヒーとみたらし団子を注文し、しばらく絶景を楽しんだ。
三方五湖の写真
帰りは「レインバーライン」の海山(うみやま)ゲートを通る事にした。 大昔、この海山近くに国民宿舎が
あり、一度母親と宿泊した事があるのだが、もう国民宿舎は廃業して駐車場になっているとの事であったが、
残念ながら国民宿舎跡地は確認できなかった。海山ゲートを降りると水月湖や三方湖のそばを通るが、山頂
からの眺めと異なり、湖の水の色はそれほど綺麗ではなかった。途中、道の駅三方五湖に立ち寄ったが、残念
ながら、三方五湖自然観察棟はこの日はお休みであった。
この後は、敦賀市内を散策してレンタカーを返却する予定であったが、時間に少し余裕があったので、敦賀
半島にある関西電力美浜発電所近くに立ち寄る事にした。国道27号線を外れて20分ほど走ると、美浜
発電所を紹介する、美浜原子力PRセンターに到着した。中に入ると、原子力発電の利点と東日本大震災の
教訓を活かした活動などが紹介されていた。我々は医療のレントゲンなどでは放射線に晒されているし、
世界的な電力危機の状況を考えると原子力発電に関しては盲目的に反対すべきではなく科学的な視点から
きちんと良否を判断すべきと考える。ただし現状は、核のゴミと言われている原子力廃棄物を安全に廃棄
する手法が確立されていないので、この問題を最優先に検討すべきでは、と思っている。
原子力発電所は遠くから眺めるだけであったが、初めて実物を目にした事は有意義であったと思う。
敦賀市内に向かう途中、気比(けひ)の松原という白砂青松の景勝地を通ったが、ここは日本三大松原の
ひとつに数えられ、国の名勝にも指定されているところである。 近くに敦賀市の観光スポットが集まって
いる金ヶ崎緑地の駐車場に15時頃到着し、周辺を散策する。
(敦賀市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
最初に行ったのは、「人道の港敦賀ムゼウム」で、ここはポーランド孤児やユダヤ人難民が上陸した日本で
唯一の港である敦賀港の歴史を伝える資料館となっている。ちなみに「ムゼウム」とはポーランド語で
「資料館」「ミュージアム」を意味するとの事。リトアニア・カウナスの領事代理・杉原千畝(ちうね)が
発給した「命のビザ」のストーリーは有名であるが、ここにはその複製や、目撃した市民の貴重な証言、
難民が残していった時計などを展示されており、難民と敦賀市民の当時の交流や心温まるエピソードを
知ることができる。次に行った「敦賀赤レンガ倉庫」は、1905年に石油貯蔵用の倉庫として建設された
レンガ建築物で、北棟・南棟・煉瓦塀が国の登録有形文化財に登録されている。現在は食事や買い物が
楽しめる場所となっている。 理由は不明だが、赤レンガ建造物の横に国鉄時代のディーゼルカーが
設置されていた。その後、敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)へ立ち寄る。旧敦賀港駅はかつて「欧亜
国際連絡列車」の発着駅としてかつて重要な位置を占めていた。敦賀は古くから大陸への玄関口として
栄え、近代に入ると日本海側で最初に鉄道が走るなど、港と鉄道の街として発展してきたところであるが
この資料館では敦賀の鉄道に関する歴史を紹介し、鉄道資料や列車模型などが展示されている。
最後に、金ヶ崎緑地の駐車場からは少し離れているが、氣比神宮(けひじんぐう)へと向かう。
ここは7柱のご祭神をまつる北陸道の総鎮守で、大宝2(702)年の建立と伝えられている古い神社で、
高さ約11mの大鳥居(重要文化財)は春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造
大鳥居の一つとなっている。夕方だったので参拝者も少なかった。 金ヶ崎緑地の駐車場に戻り、
「ユダヤ人の上陸地点」を示す案内があったので、それをたどって行くと、「人道の港敦賀ムゼウム」
の建物の前であった。
敦賀市内の写真
敦賀駅前のトヨタレンタカーの営業所でレンタカーを返却し、敦賀 17:38 発の「つるぎ34号」で福井
に向かい、福井には 17:59 の到着。この日から連泊で「ホテルルートイン福井駅前」に宿泊した。
旅行記(3日目)
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