2日目 9月5日(火)  北上駅でレンタカー借用
 北上-花巻市内(散策)-遠野(ふるさと村)-釜石(橋野鉄鉱山)-宮古 (泊)



  (2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
  青色が実際に移動した軌跡。)


 この日から2日間は、レンタカーを利用して公共交通では行きにくい場所を散策する。
 初日は、花巻市内、遠野ふるさと村、世界遺産となった釜石の橋野鉄鉱山を巡って、宮古に
 宿泊するルートである。
 今回はJR東日本のレンタカーを利用して、北上駅で乗車し、盛岡駅で乗り捨てる事にしたが
 大人の休日倶楽部パス利用者の割引が使えたので、トヨタレンタカーより安く利用できた。

 最初に向かったのは、高村山荘と高村光太郎記念館である。高村光太郎が、焦土と化した東京
 から太田村山口(花巻市)に疎開し、晩年の7年半を過ごしたのが高村山荘で、内部に作品、
 遺品を保存、展示している。現在の山荘は套屋(とうおく)によって保護されているが、
 これは光太郎を敬慕する村人たちが一本一本持ち寄った木で建てられたものである。
 しかし多くの彫刻家高村光太郎の作品は、高村光太郎記念館の方に保管されており、光太郎の
 代表作である「手」や「乙女の像・中型試作」等彫刻を見る事ができる。
 高村光太郎記念館は 2015年にリニューアルしている。実は2000年の夏に家族旅行で来た事が
 あるが、その時の印象として宮沢賢治に関する施設は立派なのに対し、高村光太郎記念館は
 当時貧素な印象があり、花巻市民の2人の扱いにはずいぶん差があるように感じた。また
 当時は高村光太郎と宮沢賢治に接点があった事は理解していなかった。今回、リニューアル
 された高村光太郎記念館には、「高村光太郎は昭和20年(1945)、宮沢賢治の実家を頼って
 疎開した。」「大正15年(1926)の今日、駒込林町のアトリエを、宮澤賢治が訪れたのが最初の
 出会い」、「二人を結びつけたのは草野心平で、宮沢賢治は死後に高村光太郎と草野心平一が
 その作品を発見し、世間に広く知らしめるべく尽力した。」との説明パネルがあったので、
 高村光太郎と宮沢賢治の関係を良く理解する事ができた。




   (花巻広域公園散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 次の目的地は花巻広域公園である。2000年夏に家族旅行で、国民年金保養センターはなまき
 に宿泊したのが花巻広域公園で、当時愛犬キキも連れて周辺を散策した記憶が印象に残って
 いたので今回ここを選んだ。国民年金保養センターは「金矢温泉ホテル銀河パークはなまき」
 という名で民営化されていたが、宿舎の外観はあまり変わっていないように感じた。
 しかし公園内は当時からかなり整備され綺麗になったと思われた。

   花巻市内の写真

 次に新渡戸稲造記念館へと向かう。一つ前の5000円札にも使われた新渡戸稲造は、1862年に
 盛岡市で生まれ、日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。更に
 国際連盟事務次長も務めた国際人であり、「願はくはわれ太平洋の橋とならん」という彼の
 信念は有名である。彼の先祖は1598年(慶長3年)から約230年間、花巻の地に居住し、
 花巻城士の文武両道にわたる指導にあたるとともに、新田開発に情熱を傾けた一族だった
 ため、花巻これら新渡戸家の功績とゆかりの品々、さらには新渡戸稲造の世界等を紹介する
 記念館を設立した経緯がある。記念館内には新渡戸稲造に関する資料がたくさん展示されて
 いたが、彼が札幌農学校に在学していた事や東京女子大学の初代学長である事は初めて知った
 次第である。国際連盟事務次長となった時に国際紛争に対し「新渡戸裁定」と呼ばれる裁定を
 下したが、今の日本で真の意味の国際人がどれほど存在するのであろうか、と思ってしまった。

 今夜の宿泊地は宮古であるが、途中「遠野ふるさと村」と世界遺産となった釜石の「橋野鉄
 鉱山」に立ち寄る。遠野へは2016年6月に来て以来である。この時は次の列車までの約3時間
 にレンタサイクルで、「伝承園」、「たかむろ水光園」、「カッパ淵」に行ったが、今回は
 この時行けなかった「遠野ふるさと村」に行く事にした。




   (遠野ふるさと村散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 「遠野ふるさと村」は、遠野の昔の農村集落を再現し、手入れのいきとどいた里山の自然の中に、
 馬と人が共に暮らした南部曲り家を大切に移築・保存し、昭和初期の農村をイメージし整備した
 施設となっている。2000年の夏に家族旅行で行ったところでもある。
 「遠野ふるさと村」に到着すると、ちょうど社会見学と思われる小学生の団体が見学を終わって
 出てくるところであった。団体客がいなくなったため村内は人もまばらとなったが、外国人の
 観光客もいたのには驚いた。曲り家としては、「大工どん」、「川前別家(かわまえべっけ)」、
 「大野どん」、「肝煎り(きもいり)の家」が有名であるが、「大野どん」にはきれいな白馬が
 いたのが印象に残った。平日なので語り部もおらず、今回は曲り家の散策がメインとなった。

   遠野ふるさと村の写真

 次に世界遺産となった釜石の「橋野鉄鉱山」へと向かうが、この頃には雨天となりカーナビ通り
 のルートは道が狭く少しばかり運転が大変だったが何とか橋野鉄鉱山のインフォーメーション
 センターに辿り着く事ができた。



   (橋野鉄鉱山周辺散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 橋野鉄鉱山・高炉跡は、鉄鉱石採掘場や運搬路、そして高炉場に至るまでの製鉄工程を総合的に
 把握できる貴重な遺跡であり、各所に遺構が保存されていたが、日本で初めて造られた洋式高炉
 としてその価値が評価され、2015年(平成27年)に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、
 石炭産業」の構成資産として世界遺産登録を受けた。
 今回は、インフォーメーションセンターでガイド(有料で500円)を頼んで、説明をお願いした。
 現在我々が目にすることのできる高炉跡は、1辺は約5m、高さ約2.5mの大きさで、大きな花崗岩
 が何段も積み上げられて四角い形を成している遺構で、かつてはこの内側に耐火レンガが積まれ、
 高さ7m、直径1.3mの炉が築かれていたとの説明。1番高炉から3番高炉の遺構がすべて残っており、
 周囲は当時さながらの豊かな自然が保たれていることも、この遺跡の魅力のひとつなのかも
 しれない。

   橋野鉄鉱山の写真

 橋野鉄鉱山を出発し、今夜の宿泊地である「ホテルルートイン宮古」へと向かう。ここは
 宮古市内から少し離れていて近くにレストランも無さそうだったので夕食をどうしようかと
 思っていたが、ホテルのレストランで予約なしでも夕食をとることができたので助かった。


   旅行記(3日目)

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