2日目(6月25日)
札幌 - 小樽 - 余市(余市散策)- 小樽 - 札幌(札幌市内散策) 札幌(泊)
(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
この日は、午前中に余市まで行き、ニッカウヰスキー余市蒸留所の見学を行い、午後は札幌に戻って札幌市内見学、夜は2年ぶりに
中学校以来の友人と会う、という予定である。
札幌から余市へ行くのにネックとなるのが、小樽-余市間の列車が本数の少なさである。そこで事前にいろいろと検討した結果、
札幌発 7:14 の小樽行きの電車で出発する事にした。 札幌-小樽間のうち、銭函-小樽築港間は日本海の海沿いを走行するので
景色が良く、私の好きな路線の1つである。 小樽で4分の待ち合わせで倶知安行きの列車に接続するが、小樽から先は非電化区間
で列車の本数も少なくなる。2030年度に開通予定の北海道新幹線の札幌延伸時には、この区間は第三セクターの鉄道会社に引き継がれる
事になるが、利用者もあまり多くないので鉄道の形態で継続できるのか、が気になるところである。
小樽を出発し、約25分で余市には 8:30 の到着。
ニッカウヰスキー余市蒸留所の写真
ニッカウヰスキー余市蒸留所は余市駅から徒歩で2~3分の距離にあるので、9:00 からの開場時間の前に着いたが、平日にもかかわらず
多くの人が開場を待っていた。 ここでは、予約制の無料の見学ガイトツアーがあるが、当日空きがあれば申し込み可能で、私も
ツアーに参加することができた。 ウイスキーの製造工程は、製麦→乾燥→糖化→醗酵→蒸溜→貯蔵・熟成というコースとなるが、
ガイドツアーでは上記の各工程を分担する建物の中に入り、実際に稼働している状態でいろいろと説明して頂けた。なお、ここの
余市蒸留所では貯蔵・熟成までを担当し、実際の商品化に必要なパッケージ化等は千葉県の柏工場が担当している。
ガイドツアーではこのほか、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の事務所として昭和9年7月に建設された「旧事務所」、竹鶴政孝が
リタ夫人とともに使用していた住居を移築・復元した「旧竹鶴邸」、ウイスキーの貯蔵庫2棟を改装した「ウイスキー館」と「ニッカ館」
とで構成される「ウイスキー博物館」などの紹介もあった。「ウイスキー館」ではウイスキーについての歴史や製造工程を学ぶことができ、
「ニッカ館」では、創業者 竹鶴政孝とリタの物語や、竹鶴政孝がスコットランドで学んだ際の貴重な資料などがたくさん展示されていた。
なお、このガイドツアーの後、参加者はウイスキーの試飲ができるのだが、余市 10:25 発の列車に乗車する必要があるため(これを逃すと
次は約2時間後)、試飲はパスして余市蒸留所の構内を少し散策した後、余市駅に引き返した。
余市からは、行きと同じく、小樽で乗り換えて札幌には 11:32 に到着。
毎回、北海道に来ると長万部駅の駅弁「かにめし」を1回は食べていたが、今年春からJR北海道では客室乗務員による車内販売サービス
が廃止になったため、特急列車内で駅弁を購入する事ができなくなった。幸い「かにめし」は発売元の「(有)かなや」が札幌今井デパート
地下フロアに出店しているので、1個購入し、連泊中のホテル「JRイン札幌南口」に持ち込んで食べる事ができた。
札幌で旧北海道庁内に観光案内所があるので、そこで情報を仕入れた後、この日は天候に恵まれていた事もあって藻岩山へ行くことにした。
市電(路面電車)西4丁目電停から乗車したが、びっくりしたのは、すすきの-西4丁目間も開通していて路線がループ状になっていた事で、
東京の山手線のように「外回り」/「内回り」という路線名になっていた。
藻岩山ロープウェイに乗車するため内回り線で「ロープウェイ入口」電停へと向かう。電停から実際のロープウェイ乗り場までは無料の
シャトルバスの運行していて便利である。
札幌市内(藻岩山等)の写真
藻岩山は札幌市のほぼ中央に位置する標高531mの山で、山頂からは札幌の街並みや日本海石狩湾の大パノラマを楽しむ事ができる。
麓から中腹まではロープウェイ(または藻岩山観光自動車道を利用して自動車)、中腹から山頂まではミニケーブルカー「もーりすカー」に
乗車する。 私は大学まで札幌に住んでいたが、当時に比べロープウェイのゴンドラ等も一新されたので、今回はフレッシュな感覚で乗車
する事ができた。 藻岩山に登るとき途中で白い塔が見えてくるが、何故かこの塔についてガイドブックにもあまり記載されていない。
これは「札幌平和塔」と呼ばれ、太平洋戦争犠牲者の冥福を祈り建立されたものであるが、この発願に対しインドのネール首相が哀心賛意を
表され眞身舎利を贈られ、これが現在も塔内に奉安されている、との事である。
藻岩山は現在、日本新三大夜景に認定されており(他は長崎県の稲佐山と北九州市の皿倉山/高塔山など)、観光客も夜の方が多いとの
事であった。次回は機会があれば藻岩山の夜景を楽しみたいと思う。
(札幌市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
市電でロープウェイ入口電停まで引き返し、今度は外回り電車で札幌市中心街に向かうが、途中の「西線9条旭山公園通」で途中下車した。
私は小学校低学年まで、札幌市の「南8条西16丁目」に住んでいたので、そこが現在どうなったのか、を確認したかったためである。
当時我が家は公衆浴場を委託営業しており、となりの家が床屋で向かいが郵便局、であった。 しかし、公衆浴場はクリーニング屋になり
郵便局はなくなっていたが、となりの床屋は(この日は休業していたが)まだ残っており、「菊池」という姓もそのままだった。
最後に、母校の北海道大学(北大)構内を約40年ぶりに散策する事にした。 市電と地下鉄を乗り継いで、地下鉄の「北12条駅」で下車し、
北大構内を目指したが、昔の記憶とかなり違っていた。 記憶では、私が通っていた工学部の校舎は「北12条駅」からすぐ近くだったような
気がしたのだが、この日はなかなか工学部にたどり着かず、ウロウロしていたら事務局の建物があったので、そこでキャンパスガイドマップを
頂き、これに沿って散策する事にした。 ただし、17時には札幌駅で友人と待ち合わせているので、約1時間半を急いで散策する事になった。
昔よく食事をした「クラーク会館」は遠くから眺めるにとどめ、古河講堂、農学部、理学部とまわり、理学部の横の道を入りポプラ並木の方へと
向かった。 ポプラ並木は、私が大学生だったこと(約40年前)は立派な並木であったが倒木の危険があるという理由で立ち入りが禁止されて
いた。更に 2004年(平成16年)9月に札幌を襲った台風18号によって壊滅的な状態に陥ったが、並木が抜けた箇所には若木が植えられ、路上に
ウッドチップを敷く整備がなされることで、今は完全立ち入り規制ではなく一部が散策が可能になっている。
再び理学部方面へ引き返し、工学部へと向かう。 当時の工学部の校舎は農学部や理学部のような格調高い建物では無かったが、残念ながら
現在もそのままで変わっていない。 キャンパスマップで「平成ポプラ並木」というのがあったので行ってみることにした。この平成ポプラ並木は
前述のポプラ並木の老朽化に伴い、2000年(平成12年)10月、北大創基125周年記念事業の一環として植樹された新しいポプラ並木で、若木は
旧ポプラを挿し木によって増やしたクローンとの事である。この平成ポプラ並木は、倒木の危険がないので中を散策する事ができる。
その他、北大キャンパスでは、都ぞ弥生の歌碑、寄宿舎跡の碑、などを見かけた。一番印象に残ったのは、多くの学生が自転車で構内を走行
している点であった。確かにこれだけ広い構内なら徒歩ではキツイであろう。
(北海道大学構内の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
北海道大学構内の写真
1時間半の北大構内を終え、待ち合わせ場所の札幌駅改札口へと向かう。
今回友人と会ったのは、札幌駅近くの居酒屋であったが、いろいろと歓談できて楽しかった。
旅行記(3日目)
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