4日目(6月28日)
 札幌 - 新札幌 - 北海道開拓の村(開拓の村散策)- 新札幌 - 札幌 - 函館(五稜郭公園散策) 函館(泊)



  (4日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)


 この日は午前中は北海道開拓の村を散策し、札幌発 12:16 の函館行き特急スーパー北斗12号に乗車して函館へ行く、という計画である。
 北海道開拓の村行きのバスは新札幌駅から出ているので、まずは新札幌駅までJR線に乗り同駅 8:23 のバスで北海道開拓の村へと向かう。
 北海道開拓の村バス停には 8:41 到着で北海道開拓の村は 9:00 から営業開始であるが、9時少し前から入場でき、しかも65才以上は無料
 であった。



   (北海道開拓の村散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を54.2haの敷地に移築復元/再現した野外博物館で、北海道開拓
 当時の生活が体感的に理解できる展示物や文化の流れを示す建造物が保存されている。開拓の村内は「市街地群」、「漁村群」、「農村群」、
 「山村群」の4つのグループに分けることができる。
 入出場口やチケット販売所がある管理棟を通り最初に見える大きな建物が「旧開拓使札幌本庁舎」で内部には情報サービスコーナーや講堂、
 研修室が備わっている。「旧浦河支庁庁舎」、「旧来正旅館」、「旧三ます河本そば屋」、「旧小樽新聞社」、「旧武井商店酒造部」などを
 眺めていると馬車鉄道の回送車が通りかかった。 なお、冬期間は馬車鉄道の代わりに馬そりが走るようである。
 更に市街地群を歩き「旧近藤医院」、「旧開拓使工業局庁舎」、「旧札幌警察署南一条巡査派出所」、「旧有島家住宅」を見た後、ひときわ
 大きな建物である「旧北海中学校」があったので、ここは中に入ってゆっくりと見学した。「旧龍雲寺」を過ぎるとその先は漁村群エリアに入り、
 最初に目に入った建物は「旧土谷家はねだし」である。はねだしとは、鰊漁家の付属施設として海岸の地形に合わせ海側へ跳ね出す形で建てられた
 倉であり、直接荷物の出し入れを行ったり漁具や加工品を収納するために使用されたものである。実際の展示物は確かに池の方に張り出していた。
 漁村群エリアで、「旧青山家漁家住宅」、「廊下」、「旧秋山家漁家住宅」を見たあと農村群の方へ進むと、先ほどの馬車鉄道が若い女性グループ
 の乗客を乗せてやってきた。農村群では、「旧山本消防組番屋」、「旧若狭家たたみ倉」、「旧ソーケシュマベツ駅逓所」、「旧田村家北誠館
 蚕種製造所」、「旧農商務省滝川種羊場機械庫」、「旧岩間家農家住宅」、「旧納内屯田兵屋」、「旧山田家養蚕板倉」、「旧河西家米倉」、
 「旧樋口家農家住宅」などの建物を一通り見た後、「旧小川家酪農畜舎」があり、牧草地に牛の親子の模型があった。この近くには「旧菊田家
 農家住宅」や「開拓小屋」があり、その近くから細い道を下って山村群エリアに入って行く。山村群には「炭焼小屋」、「旧平造材部飯場」、
 「森林鉄道機関庫」の3つの建物があるが、鉄道ファンの私としてはこの大正時代に敷設された伐採された木材を搬出するたの森林鉄道が興味
 深かった。 近くに「旧札幌農学校寄宿舎」があるが、この建物はエリア的には市街地群に属するようである。

   北海道開拓の村の写真(1)

 ここに展示されている「旧札幌農学校寄宿舎」は 1983年(昭和58年)まで実際に使われていた札幌農学校(現北海道大学)の学生寮で、
 「恵迪寮(けいてきりょう)」と命名されていたものである。従って私が同大学の在籍していた時に実際に使われていた事になるが当時は
 一度も中を見る機会が無く、今回興味深く中を見ることができた。展示されているのは実際に運用されていた物の中から玄関棟と2棟12室
 が復元されたものであるが、在/不在札や寮生の個室などを見る事ができ楽しかった。
 「旧近藤染舗」、「旧札幌師範学校武道場」を見たあたりで、そろそろ帰りのバスの出発時間が気になり出したので、後の展示物はほとんど
 写真を撮るだけになってしまったが、最後の方に見た「旧手宮駅長官舎」は中に入ってみることができた。

 新札幌駅から函館行き特急列車に乗ればもう少し北海道開拓の村に滞在することが可能であるが、札幌今井デパートで購入したいものがある
 ため今回は開拓村 11:15 発のバスで引き返す事にした。全部で約2時間半の滞在であったが、ゆっくり見るにはあと1時間ほど必要と思う。
 バスは北海道開拓の村がある野幌森林公園内をまわって行くが、途中今話題になっている「北海道百年記念塔」が見えた。この記念塔は
 北海道開道百年を記念して 1968年(昭和43年)に着工し、1971年(昭和46年)4月より一般公開されたものである。確か私も中に入った事が
 あると思うのだが、あまり印象に残っていない。 この記念塔は老朽化して 2014 年から立ち入り禁止になっているようだが、今問題になって
 いるのは、これを解体するのか修繕するのか、の方針が決まっていないという事のようである。今年(2018年)は北海道命名150周年となる
 節目の年なのでさっさと方針を決めて欲しいところであるが、解体でも修繕でもお金がかかるので判断が難しいのかもしれない。

   北海道開拓の村の写真(2)

 帰りはJR森林公園駅でバスを下車し電車で札幌駅まで行き、地下連絡道を通って大通りにある今井デパートの地下売り場へと向かう。
 長万部名物の「かにめし」を販売している「かなや」がこの地下売り場で店を出しているので、昼食用に「かにめし」を入手するためである。
 というのは、札幌発 12:16 の函館行き特急スーパー北斗12号には客室乗務員による車内販売が無いためである。(現時点では、上り列車は
 スーパー北斗6号、8号、10号のみが車内販売営業) 早く北海道新幹線が札幌まで伸張し、多くの列車で車内販売サービスを実現して
 欲しいと切に望みたい。(もっとも北海道新幹線が開通予定の2030年に私が健康で旅行ができるのか、という問題もあるが)
 なお、「かにめし」のほかに北海道でしか購入できない「リボンナポリン」も入手した。
 特急スーパー北斗12号は定刻どおり 16:05 に函館に到着。

 函館の観光案内所で、3回乗車すれば元が取れる市電1日乗車券(600円)を購入し、五稜郭公園内にある箱館奉行所を目指す。
 定年退職後、函館には今回を含め4回来たことになるが、4度目の正直でようやく箱館奉行所に来る事ができた事になる。

 ペリー艦隊来航により、幕末の北辺警備と対外折衝の重責を担った箱館奉行所は 1864 年に五稜郭公園内に設置されたが、その後大政奉還
 による江戸幕府の崩壊におりここは戊辰戦争の最後の戦いである箱館戦争の舞台となった結果 1871 年に解体されてしまったが、約140年後の
 2006 年から復元工事が開始され 2010 年に全体の 1/3 程度が復元された。
 内部は、大広間や表座敷を資料に基づいて再現した「再現ゾーン」、五稜郭と箱館奉行所の歴史を解説した資料が展示されている「歴史発見
 ゾーン」、復元工事の映像記録をビデオ放映している「映像シアター」などのゾーンに分かれている。「映像シアター」のビデオ放映内容が
 わかりやすく良かった。 また、ここには結構アジア系外国人が来ていたが、展示内容が日本語中心のように思えたのでもう少しインター
 ナショナル化が必要のように思った。

   函館市内の写真

 箱館奉行所を出る頃にはかなり雨が降ってきたが、市電の1日乗車券を有効活用して湯ノ川温泉電停の方まで行く事にした。
 しかし、湯ノ川温泉には確かに大きなホテルはあるものの、いわゆる「温泉郷」というイメージからほど遠く、住宅地の中に大きな温泉
 ホテルがポツポツあるような感じであった。 (ただし雨降りであまり歩いてので、私の方で見落としているかもしれないが。。)
 今までは函館の宿泊ホテルはJR函館駅前だったが、今回は五稜郭公園付近の「函館天然温泉 ルートイングランティア函館五稜郭」という
 ルートインホテル系列のホテルでの宿泊となった。



 (函館市内散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


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