2日目(11月10日)
横手 - 北上 - 仙台 - 郡山 - 会津若松(会津若松散策) 会津若松(泊)
(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
赤色が実際に移動した軌跡。)
ホテルの朝食を急いで済まし、横手発 7:41 の北上線の各停列車で北上へと向かう。 北上線は昔は特急や急行列車も走った事があるが、今は
各停しか走らない典型的な田舎路線となってしまった。 この線の主要な駅である湯田温泉郷の中心地である「ほっとゆだ駅」には、駅舎の隣に
温泉湯が営業している。ほっとゆだ駅を過ぎたところに、錦秋湖(きんしゅうこ)という名の湯田ダムによる人口湖があり、紅葉の時期は周囲の
山々の色づいた葉を湖面に映す姿が綺麗との事であるが、車窓からも少しだけ紅葉の姿を見ることができた。
北上線の写真
横手から約1時間半で北上に着き、ここから東北新幹線の「はやて114号」に乗る。仙台で「やまびこ134号」に乗り換えて郡山に 11:03 に
到着した。 郡山では約40分の待ち合わせで 11:42 発会津若松行きの各停電車に乗り換える。途中猪苗代湖の姿が左手に見え、12:59 に
会津若松駅に到着した。
(会津若松散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
会津若松駅で観光パンフレットを入手し荷物をコインロッカーに預けた後、13:07 発の只見線で1駅先の七日町駅へと向かう。
七日町駅前のカフェーで、まちなか周遊バス(ハイカラさん号とあかべえ号)が1日乗り放題のフリー乗車券を購入する。この日は七日町駅前
周辺が工事中のため周遊バスが駅構内には入ってこないので、七日町通りをぶらぶら散策する。この通りにはレトロな建物も多くいろいろと
楽しめた。途中の「七日町中央」バス停からハイカラさん号に乗り「鶴ヶ城入口」で下車する。このバスは観光客だけではなく地元の方々も
乗車するためマイクロバスは超満員であった。
鶴ヶ城は戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月耐え、城は落ちなかったので難攻不落の名城とうたわれたが、明治7年(1874年)に
石垣だけを残して取り壊された。その後昭和40年(1965年)に多くの寄付によりよみがえり、平成23年(2011年)の修復時には幕末当時の
赤瓦となり、今年(2015年)天守閣再建50周年を記念にして、展示室が全面リニューアルされた。 1層から4層まで興味深い展示物が並んで
いたが、やはり5層の展望層からの眺めは圧巻である。
鶴ヶ城の入場券で茶室「麟閣」も見ることができる。この茶室は、豊臣秀吉の怒りに触れた千利休に対し、会津藩士が利休の子の少庵を
会津にかくまった時に作られたものと言われており、当時のものがここで復元されている。なお、少庵の子孫により、武者小路千家、表千家、
裏千家の3つの流派が広がった、という説明プレートがあった。
鶴ヶ城の写真
次に、鶴ヶ城からハイカラさん号で飯盛山へと向かう。飯盛山は戊辰戦争の時に白虎隊が無念の最期を遂げたところで、山頂には「白虎隊十九士の墓」
がある。山頂へは無料の徒歩コースと有料のエスカレーターコースがあるが、今回は後者の有料コースとした。山頂からは会津若松の町並みと
鶴ヶ城も見え、良い眺望であった。 帰りは徒歩コースで下ったが、途中に栄螺堂(さざえどう、正式には旧正宗寺三匝堂)という木造建築物
があった。この建物は、上りと下りで同じ道を通らず抜けられるという珍しい仕組みとなっており、国の重要文化財に指定されている。
その先には「白虎隊記念館」があり、主に白虎隊をはじめとする会津戊辰戦争関係の史料(遺品、遺墨、写真など)を収蔵、展示しているが、
ここは会津若松出身の弁護士であった故・早川喜代次(はやかわきよじ)氏の私財で創立されたもので、行政等のバックアップがなく
民間の有志で運営している、との事で以前に家族旅行で来たときから外観は変わっておらず、とても懐かしく感じた。
最後にまちなか周遊バス(あかべえ号)で東山温泉へと向かう。東山温泉は約1300年前の奈良時代に名僧・行基が発見したと伝えられており
会津の奥屋敷と称されている。山に囲まれた自然豊かな温泉郷が、会津若松の市街地から車で10分程度のところにあるとは信じられず、また
約20軒ほどある宿はみなとても風情があり、次回はぜひとも宿泊してみたいところである。
飯盛山・東山温泉の写真
今日の宿泊先は、会津若松駅から徒歩5分程度のビジネスホテルである。 明日は朝6時の始発列車に乗るため、コンビニでおにぎり等を購入した。