2日目(6月30日)
北上 - 新花巻(花巻散策)- 一ノ関 - 平泉(平泉散策)- 一ノ関 - 小牛田 - 古川 古川(泊)
(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。
赤色が実際に移動した軌跡。)
北上駅 8:00 発の東北新幹線「やまびこ97号」に乗ると、8分で新花巻に到着した。 ここからタクシーで宮沢賢治記念館へと向かう。
宮沢賢治記念館は坂の上にあるので、840円を出してもタクシーの方が効率が良い。タクシーは5分ほどの行程で宮沢賢治記念館の駐車場に到着した。
記念館の反対側にある、童話「注文の多い料理店」に登場するものと同じ名前の「山猫軒」は、以前に家族旅行で来た時の外観が変わっていなかった
ので、とても懐かしかった。
(花巻散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
宮沢賢治記念館は今年(2015年)4月25日に32年ぶりに展示内容をリニューアルし、宮沢賢治の作品世界を「科学」、「芸術」、「宇宙」、「宗教」、
「農」の5つに分けて展示されており、全体像がわかるように工夫されていた。
宮沢賢治記念館から宮沢賢治イーハトーブ館までの下りの花壇のある散策路は、以前に家族旅行で来た時から変わっていないように思えた。だたしあの時は
夏休みで子供連れの観光客が多く我々も愛犬キキがいて賑やかだったが、今回は平日の朝9時過ぎだったので、誰もいなかった。代わりに6月という
季節がら綺麗な花が咲き誇っていた。
宮沢賢治記念館、イーハドーブ館、宮沢賢治童話村とその周辺の写真
宮沢賢治イーハトーブ館は、宮沢賢治をもっと知りたいための人のために、資料や情報が提供されている施設である。イーハトーブとは宮沢賢治が
自分の心の中に様々に思い描いた夢の世界(ドリームランド)の地名で、イーハトーブ館の展示場は約3ヶ月ごとに変更されるようだが、この日は
版画家・加藤昌男さんによる「賢治曼陀羅蔵書票」(銅版画、特装本)や賢治に関する版画が展示されていた。
次に、宮沢賢治イーハトーブ館から歩いて2~3分のところにある宮沢賢治童話村へと向かう。童話村の駐車場の道路を挟んだ反対側に宮沢賢治記念館へ
行く屋根付きの長い階段があったが、確か昔は無かったような気がする。 童話村の駐車場もオフシーズンの平日という事もあって、停まっている
自動車は少なかった。
童話村へは「銀河ステーション」と表示されているレンガ造りのゲートを通って入って行くが、メインは有料施設である「賢治の学校」と、無料で
入る事ができる「賢治の教室」であるが、この他にも「ふくろうの小径」や「妖精の小径」といった散策路も整備されている。
「賢治の学校」は、宮沢賢治の童話に描かれている不思議な世界を、「宇宙の部屋」、「天空の部屋」、「大地の部屋」、「水の部屋」の4つの部屋
で表現している。4つの部屋を通った後に、「セロ弾きのゴーシュ」や「注文の多い料理店」の賢治童話のミニチュアが展示されている。
宮沢賢治童話のミニチュア展示の写真
「賢治の教室」には7棟の木製のログハウスがあり、うち5棟は賢治童話に登場する、「植物」、「動物」、「星」、「鳥」、「石」についての教室
であり、各テーマに沿って工夫された展示物があり、興味深かった。 残りの2棟はお土産等を販売している売店である。 「賢治の教室」の奥に
「ふくろうの小径」という散策路があるので、少しだけ散策した。
宮沢賢治童話村に隣接して花巻市博物館があるが、これは2004年に建てられたものなので、以前に家族旅行で来た時には無く今回初めての訪問
である。ここは花巻の歴史を伝える博物館で、常設展示の他、講座や体験学習も開いている。特に興味を引いたのは、廃線となった花巻電鉄軌道線
の展示であった。 この線は現在のJR花巻駅から花巻南温泉郷までの路線で、宮沢賢治や高村光太郎が利用したとの事である。
この沿線の旧西花巻駅付近を描写した展示物が良かった。
宮沢賢治童話村と花巻市博物館の写真
花巻市博物館から新花巻駅までは路線バスも走っているが本数が少ないので、帰りは徒歩15分ほどの道のりを歩く事にした。新花巻駅で軽く昼食
をとり、新花巻発 12:19 の「やまびこ46号」に乗り一ノ関へと向かう。一ノ関に 13:21 に到着し、ここで大きな荷物をコインロッカーに預け、
平泉を散策する。 東北本線在来線を利用し、2駅先の平泉で下車したが、世界遺産に選定された所のためか花巻より観光客が多かった。
(平泉散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
平泉散策のメインは毛越寺(もうつうじ)と中尊寺であるが、まずは平泉駅から徒歩10分の距離にある毛越寺へと向かう。寺伝によると毛越寺は
嘉祥3年(850年)に慈覚大師(じかくだいし)が嘉祥寺(かしょうじ)という堂を建立したのが始まりで、藤原氏二代基衡(もとひら)から
三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営された。当時は中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれているが、度重なる災禍に遭い
すべての建物が焼失し、今は、浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されている。またこの時期(6月末から7月初め)は境内に
アヤメが咲き誇っていた。やはり、毛越寺の見どころは大泉が池を配した浄土庭園と思われる。この池の周辺に「××跡」という建造物の跡が多く
残されているのを見ると、かつての栄華を偲ぶことが出来る。
毛越寺の写真
平泉には、巡回バス「るんるん」が平日でも30分毎(土日だと15分毎)に走っているので、散策には非常に便利である。毛越寺から中尊寺へは
この巡回バスのお世話になった。
中尊寺は嘉祥3年(850)比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれ、その後12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡(きよひら)公によって
大規模な堂塔造営が行われた。有名な金色堂(こんじきどう)は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物であるが、金色堂は境内の奥にあるため、
金色堂にたどり着くまでに多くの建造物を見る事ができる。 バスを降りたところから中尊寺の参道に入って行くと、月見坂と呼ばれる、本堂や
金色堂への表参道がある。月見坂の両脇には、樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作っているので、ここは真夏でも涼しそうである。
月見坂の途中からは平泉の町並みを眺望できる場所もある。しばらく上っていくと中尊寺本堂に着いた。この本堂は明治42年に再建されたもので、
ここでは、年間を通じて多くの法要・儀式、そして様々な行事が行われているとの事である。
さらに上って行くと、峯薬師堂、大日堂、阿弥陀堂といったこぢんまりとした建物が続き、やがて文化財が3000点あまり収蔵されている宝物館である
讃衡蔵(さんこうぞう)へ到着した。ここで拝観券を買って、宝物を見た後に金色堂の拝観となる。
金色堂は、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂で、はるか南洋の海から
シルクロードを通って入手したといわれる夜光貝を用いた螺鈿細工など、当時で実現できた最高の素材と技術が使われている。須弥檀の中心の
阿弥陀如来像など多くの像がある場所の下には藤原氏四代の亡骸は金色の棺に納められている。
金色堂は本体を覆堂と呼ばれるもので周囲をカバーされているが、現在の金色堂は昭和38年に移築されたもので、それまではすぐ近くの旧覆堂
がある場所が最初に金色堂があった場所である。旧覆堂には松尾芭蕉をはじめ多くの文人が参拝に訪れたところなので、非常に趣きのある建物で
あった。 近くの野外能楽堂を見た後、再びバス停まで引き返す。
中尊寺の写真
巡回バス「るんるん」で平泉駅に向かい、東北本線在来線で一ノ関へと向かい、一ノ関駅で預けていた荷物を引き取る。一ノ関から今夜の宿泊地の
古川までは東北新幹線では2駅と近いが、今回の旅行の目的の1つである陸羽東線のうち、小牛田-古川間を乗車するため、在来線に乗ることに
した。 小牛田駅で乗り換えて古川駅へは約1時間の行程である。
昨日の北上駅と異なり、古川駅では駅ビルで食事する事ができたので、とんかつのチェーン店である「さぼてん」に入ったが、キャベツの多さに
びっくりした。 今夜も大浴場付きのルートインの系列ホテルに宿泊した。
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