◆第2日目(6月14日)
金沢市内のホテルを朝6時過ぎに出て、6時33分七尾行きの電車に乗る。
電車は北陸本線の津幡駅から七尾線に入る。当然単線であるが、最低でも1時
間に1本はあり、特急電車も名古屋、大阪、などから1日6本乗り入れている。
金沢−七尾間65.9kmを約1時間半で走って、8時2分に七尾駅に着くと、8時
6分発の珠洲行き電車が待っていた。厳密には、七尾の次の和倉温泉までが
JR七尾線で、ここから第3セクターののと鉄道であるが、各駅停車の電車は
七尾駅がのと鉄道との乗り換え駅になっている。のと鉄道の電車に乗り換えて
一駅、8時12分に和倉温泉駅に到着した。
あらかじめ駅レンタカーを予約してあったので、さっそく手続きを行ったが、
何と対応して頂いたのがJRの駅員であった。JR西日本は関西圏では、私鉄
大手(近鉄、阪急、阪神、南海等)と競争しなくてはならず、収益の高い路線が
少ないので(収益の高い東京−新大阪間の東海道新幹線はJR東海管轄と
なっている)、駅員も何でもこなさなくてはならず、大変そうだ。今年7月7日から
能登空港が開港されるが、その影響を駅員さんに聞いてみたら、「影響はある
でしょう」とのコメントであった。借りた自動車は、1000ccクラスのマツダの
ファミリアの白で、レンタカーとしてはオーソドックスなものであった。
レンタカーを運転して、まずは能登島大橋を通って能登島に向かう。能登島の
中を自動車で一周した。途中、のとじま水族館のそばを通ったが、朝早く開園前
であった事と、天気が悪く今にも降り出しような状況だったので、お客さんは
ほどんどいなかった。能登島の西側から、「ツインブリッジのと」という橋を渡り、
穴水方面に向かう。この橋は、入り口の電光掲示板に本日何番目の通行者
を示す数字が出て、私は600番台であった。橋を渡り、中島から穴水までは
結構海岸線がきれいであった。「わき見運転注意」の標識が多いのもうな
づける。穴水からは海を離れ内陸側に入り、最初の目的地の輪島に向かう。
午前10時過ぎに輪島市内に入る。朝市会場付近は交通量が多く、駐車場の
場所がわからなかったので、多少時間がかかったが、何とか駐車場に車を
止めて、朝市の会場にたどりついた。この朝市は観光客をターゲットにしてい
るようで、開始時刻も9時過ぎのようで、本来の「朝」市ではなくなっている。
新鮮なカニも売っていたが、本当にお買い得かどうかは私にはわからなかった。
朝市会場から、「道の駅 輪島ぶらっと訪夢」まで、輪島市内を歩く。ここは
最近廃止になった、のと鉄道の輪島駅(その昔はJR、その前は国鉄)の跡地
である。ホームの一部が保存されており、「わじま」の駅の標識や「みどりの
窓口」の案内板が空しい。この施設の中に、鉄道のメモリアルルームがあり、
そこには雪の中を走るディーゼルカーの写真などが数点展示していたが、この
施設に来た人たちにとってはあまり関心ないようで、結局写真を見入っていた
のは私1人だけだった。何回か廃止となった鉄道の駅の跡を見たが、いつも思
う事は、一度廃止されたら決して復活しない鉄道の廃止の日を地元の人はどん
な思いで迎えたのだろうか、という事である。このような感覚は都会育ちの私
にはなかなか想像がつかない。
輪島市内を歩いて、昔なつかしい郵便ポストが現役で働いていることと、広い
歩道のところどころに置かれている花壇付きのベンチ、が特に印象に残った。
駐車場に戻り、次の目的地のキリコ会館に向かう。キリコ(切籠)とは、巨大
な御神灯(提灯のようなもの)で、能登地方の祭礼に使用するものとの事。
この展示館には、キリコのほか、能登地方の奇祭を紹介してあったが、私が印
象に残ったのは、横綱輪島関の活躍の軌跡を展示しているコーナだった。輪島
−北の湖時代は何年前だっただろうか。月日の流れが早い事を改めて実感した。
輪島市の写真を見る
キリコ海岸を出ると、海岸沿いの快適なドライブコースを走る。土曜日なのに
交通量も少なく、やはりこの地方は夏の海水浴客がメインなのだろうか。
千枚田というポケットパーク(この地方ではトイレのあるドライブインをこの
ように呼んでいるようだ)に立ち寄った。日本海に落ち込む斜面に小さな水田
が集まっているが、その数が1000枚近くあるので、このような地名になっ
ている。
更に行くと、曽々木海岸に着いたが、ここの窓岩は昔映画の舞台となり、能登
観光のはじまり、と言われているようだが、私以外誰も窓岩を見に来た人はい
なかった。
次の目的地の禄剛崎灯台に向かう。途中、海がきれいなところがあったので
車を降りた。窓岩と異なり、ここには車が数台停車しており、海を眺めている
カップルもいた。
健民休暇村のある木ノ浦を通り過ぎ、能登地方の最先端の禄剛崎灯台に着く。
この白い灯台は、明治16年にイギリス人技師の設計によってつくられたもの
で、この灯台の光のため海難事故が減って多くの尊い命が救われたとの事。
またこの日は天気が悪かったが、天気の良い日は中国大陸も見る事ができる
ようである。実際、上海まで1598km、グラジオストックまで772kmという標識
があったのにはびっくりした。禄剛崎灯台から駐車場までの散策路も趣があっ
て良かった。
禄剛崎灯台から南下して、次に恋路海岸で車を降りた。ここは悲しい恋の物語
の地で、愛し合う2人に嫉妬した男の策略で命を落とした男の後を追って、女
性も海に身を投げてしまったという伝説がある。ここでは寄り添う2人の像が
有名であるが、うっかりこの像の写真を撮るのを忘れてしまったようだ。でも
このあたりの海の風景も良かった。
恋路海岸を15時過ぎに出発する。途中、九十九(つくも)湾の海岸沿いの道
を通ったが、この頃から雨が降り出して来たので、ひたすら帰りを急ぐ。
途中の九十九(つくも)湾の遊覧船のりばでは、遊覧船だけが観光客を空しく
待っていた。この当たりは、能都市(のと市)といって、能登(のと)半島と
紛らわしい。雨の中を30分ほどドライブすると、ギネスブックも公認したと
いう「世界一の縄文土器」という、高さ4.5mもあるものがあった。これは
地元の方が、1998年に半年かけて焼き上げたもので、使用した土は近くに
ある真脇遺跡のものを使用しているとの事である。
能登半島海岸線の写真を見る
雨の中を1人でドライブし、やがて自動車をかりた和倉温泉駅に着いた。
自動車を返却し、和倉温泉−七尾−金沢と鉄道に乗り、金沢に着いたのは20
時30分頃であった。
和倉温泉・七尾 駅の写真を見る
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旅行記(3日目)