旅行記4日目



 
この日は、稚内でレンタカーを借りて、1日じゅうドライブによる散策であった。 今まではずっと天気に
 恵まれなかったが、この日は晴天であった。
 まず最初に行ったところは、日本最北端の地である宗谷岬である。ここからサハリンまでは43kmしか
 離れておらず、この日はサハリンが非常に近くに見えた。宗谷岬には日本最北端の地碑のほかに、江戸時代に
 サハリン(樺太)探検に向かった間宮林蔵の銅像などもある。日本最北端の地碑の反対側の丘には灯台や散策路
 も準備されていたが、今回は割愛した。 

 宗谷岬からオホーツク海沿いの国道238号線を走り、浜頓別へと向かう。 浜頓別には以前国鉄天北線が
 走っていて国民宿舎もあり、アクセスしやすいところだったので、大学生時代にこの国民宿舎に泊まったこと
 があるが、今は鉄道も無くなり、すっかり変わってしまっていた。 しかし白鳥が飛来するクッチャロ湖の
 まわりは当時の面影を保っているように思った。

   宗谷岬から浜頓別までの写真

 浜頓別から更に南下して音威子府駅へと向かう。 途中の旧天北線の敏音知(ピンネシリ)駅があった付近は
 現在はピンネシリ交流プラザという名の道の駅らしきものがあるが、この建物の近くに旧敏音知駅のホームと
 天北線の線路が一部残っており、非常に保存状態が良いのにはびっくりした。 地元の人の努力に頭が下がる
 思いがする。

 音威子府は旧天北線と宗谷本線の分岐駅であったが、今はこの駅で食べられる黒い蕎麦が有名になってあり、
 何回かテレビでも紹介されている。 実は私もこの黒い蕎麦を食べるために音威子府まで来たのである。
 早速、黒い蕎麦を食べたが、お客さんは私だけではなく地元の人らしき人も注文していた。 
 この音威子府駅の中に「天北線資料館」があり、天北線の歴史を物語る鉄道備品や当時の駅構内を再現した
 ミニチュアも展示して、とてもおもしろかった。 また、駅員にお願いして音威子府駅のホームに入場させて
 もらいこの駅構内の写真を撮ることができた。

   音威子府駅の写真

 音威子府駅から今度は北上してサロベツ原野へと向かう。 国道40号線は天塩川と着かず離れず並行して
 いるが、ずいぶん天塩川が大きい川のように感じた。 豊富(とよとみ)町から日本海方面に左折しまもなく
 走ると、サロベツ湿原センターがあり遊歩道も整備されていたが、この遊歩道には湿地や沼のようなものは
 なくだだ原野の中を歩いているだけで、釧路湿原の散策に比べて人間にとってはつまらないコースであった。
 そこで、サロベツ原野散策のもう1つの拠点である幌延(ほろのべ)ビジターセンターへと自動車を走らせる
 事にした。 途中パンケ沼が見えるところに立ち寄り、サロベツ原野で初めて沼らしきものを見ることが
 できた。 幌延ビジターセンターからは、長沼、小沼を通りパンケ沼までの片道3kmの散策路があるが、
 時間不足のため長沼まで往復の散策となった。

   サロベツ原野の写真

 幌延ビジターセンターを出発し、日本海に沿って走るオロロンラインと呼ばれる道道106号線を北上して
 稚内市内へと向かう。 途中、稚咲内海岸を通り、利尻富士が見えるスポットもあったが、この日は残念
 ながら利尻富士には雲がかかっていた。 稚内市街地から約10km手前に、抜海駅という無人駅があるが
 この駅はCS放送の旅チャンネルで秘境駅として紹介されていたので、立ち寄って見た。

   サロベツ原野から稚内市内までの写真

 再びJR稚内駅(=日本最北端の駅)を通り、夕日で有名なノシャップ岬へ向かったが、日没までには
 まだ時間があったので氷雪の門がシンボルである稚内公園へ行った。この公園からは稚内市街を見下ろす
 ことができる。 再びノシャップ岬に戻り夕日を眺めていたが、アベックが多かった。

   稚内市内の写真

 JR稚内駅の近くでレンタカーを返却し、今夜の宿泊地である稚内グランドホテルがある南稚内駅へと
 向かうが列車は1時間待つ必要がある。 稚内駅構内でアンケートの仕事をしていたおばちゃんの団体に
 バス乗り場を尋ねたところ、仕事が終わったので親切に自家用車でホテルまで送って下さった。

 南稚内駅付近では居酒屋らしきお店しか無かったので、今夜の夕食は居酒屋で一品料理数個とビールに
 なった。


   
旅行記5日目

  
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