◆第2日目(10月26日)
本日は、当初の計画では、鉄道(JRと津軽鉄道)に乗って、太宰治の生家のある金木
を中心に津軽半島を少し観光しようと、時刻表とにらめっこでいろいろと検討したが、
JR五能線の列車の本数が少ないため待ち時間が多く、1日かけても金木とあと1カ所
程度しかまわれない、という結果になってしまった。そこで、予定を変更して青森駅で
レンタカーを借りる事にした。 電車、バス、徒歩の組み合わせで、それなりの計画が
立案できるのは、最低でも電車やバスが1時間に1本存在している必要があるように思
う。津軽鉄道は1時間に1本程度列車を走らせて、かつ冬季にはストーブ列車を走らせ
る、というように頑張っているのに、JR五能線は3時間も間隔があく時間帯がある。
そういうわけで、津軽鉄道さん、乗車しない事になってしまい、本当にごめんなさい。
レンタカーで計画を立てると、1日の行動範囲はぐっと広がり、青森−竜飛岬−青函ト
ンネル記念館−小泊(太宰治資料館、権現崎)−十三湖−金木(斜陽館、津軽三味線資
料館)−青森 というコースとなり、太宰治の「津軽」に記載がある場所が多くなった。
ホンダのフィットを借り、青森駅を8時15分出発する。青森市は人口は30万人の
はずだが、自動車で5kmも走ると人家も少なくなり田舎の光景に出くわしてしまう。
最初の目的地の竜飛岬へと向かう。
津軽半島の東海岸を走ること約1時間、蟹田の町に着いた。蟹田は太宰治の「津軽」で
は友人Nさんの住んでいたところ、という紹介となっていたが、私流(鉄道流)に紹介
すると、青函トンネル開通時に電化された津軽海峡線で、一部の特急電車がこの駅に停
車することになって、まちの人が喜んでいるTV放映で印象深いところ、となる。全国
でJRのローカル線がどんどん廃止される中で、幹線で特急停車駅ともなれば、JRが
なくならない限りはその存在を保証された事になるので、喜ぶのも無理はない。この町
は名の通り蟹の産地としても有名との話であったが、国道を走っていて、「蟹あります
」といった販売所は特に見つからなかった。
実は、数年前、家族で北海道旅行をした時、行きに蟹田から海岸通りを北上して、高野崎で
キャンプした事があるが、今回はこの道を通らず、内陸を通るルートとした。
蟹田から約1時間で、竜飛岬に着いた。この日は天気も良く、北海道、下北半島も見る
事ができた。本当に北海道はすぐ近くで、昨日の十和田湖のような大きな湖での対岸の
ように見え、現在でも自動車で行く場合フェリーを利用しなくてはいけないのが不思議
な感じがする。
竜飛岬〜小泊村の写真
この竜飛岬は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」で有名であるが、北海道出身者にとっ
ては、青函トンネル建設の本州側基地として有名である。当時の苦労話などの情報収集
のために、ここにある青函トンネル記念館に入った。館内では、青函トンネルの構想から
昭和63年の開通までの42年間の大事業をビデオで紹介していた。技術的に難事業で、
工事の途中から海水がトンネル内に入り込むというアクシデントがあったが、トンネル完成
に執念と情熱を持ち続け、ギブアップせずに頑張った男たちの物語は印象的であった。
竜飛岬で有名なものの1つに、日本で唯一の階段国道がある。灯台のある崖の上と、下に
ある漁村を結ぶ、361段の国道339号線(の一部)がそれである。私は、階段を降りないで
自動車で迂回して、竜飛の漁村の方に向かう。この漁村の道が尽きたところに、太宰治の
文学碑があり、「津軽」の一節である「ここは本州の袋小路だ。……」と刻まれている。
竜飛岬を後にして、国道339号線の日本海側を走り、小泊村へ向かう。途中、日本海、
北海道、津軽半島の山々を一望に見渡せる眺瞰台という展望台があった。展望台の頂上に
立つと風が強く寒かったが、天気が良く、さっき見てきた竜飛岬の灯台も遠くに見え、北海道
も紅葉も見られ、とてもすばらしかった。
小泊村は、「津軽」では、太宰治の子供の頃の育ての親である、越野タケの嫁ぎ先であり、
「津軽」もタケとここで再会した時点で終わっている。このため、ここには「小説津軽の像記念
館」があり2人が再会している時の銅像があったり、館内では生前のタケが太宰治について
語っているビデオも見ることができる。
小泊村のもう1つの魅力は、自然がすばらしく、海水浴や釣り客が多い事であろう。実際に
この日も地元家族づれが、釣り糸をたれている光景が目立っていた。自然という点では、
小泊岬は、先端の権現崎まで自動車で行くことができず、遊歩道を歩くしかなく、自然は
残されている。
小泊村〜金木の写真
小泊村を出発し、次は十三湖へ向かう。「津軽」では、「人に捨てられた孤独の水たまりで
ある」と記載されているように、無名の観光地のようで実際私のガイドブックにも解説はなか
った。しかし現地ではお土産を売っている店がありこの湖でとれるシジミ入りのラーメンも販売
していた。十三湖には湖の中に島があり、橋で行くことができる。ここにはキャンプ場やプラネ
タリウムのような施設もあったが、いかにもさびれている、という感じであった。
十三湖から、太宰治の生家がある金木町に向かう。途中、前述の津軽鉄道の終点である、
津軽中里駅に立ち寄った。ここはスーパーマーケットの中に駅がある、という感じで、いろいろ
な赤字解消のための工夫がされている、と思った。
金木町の斜陽館は太宰治の生家であり、1階11室で2階が8室と広く、建材も青森ヒバをふん
だんに使っている。ここは平成8年までは旅館として営業していたようだが、その後金木町が買い
取りこのような記念館となった。
斜陽館の近くに、津軽三味線会館があり、当日は運良く生演奏を聴くことができた。金木町は
津軽三味線の発祥の地でもある。
津軽鉄道に乗ることはできなかったが、乗った気分に浸ろうと金木駅に行く。ちょうど駅が大改装
中であったが、改装費は大丈夫なのか、と余計な心配をしてしまった。 しかし駅に着いたとき
ちょうど団体の一行が列車を待っており、2両編成の列車の乗車率も良く、少し安心した。
金木駅からは岩木山が遠くに見えすばらしい光景であった。
夕方青森駅にレンタカーを返して、行きと同様に青森−八戸−盛岡−東京と帰路に向かう。
購入したキップでは、八戸−盛岡間はフリーゾーンで、東北新幹線「はやて号」の普通車にも
乗ることができるが、実は1つだけ問題があった。はやて号には自由席がなく全車指定席だが
ゾーンキップでは、「普通車の空いている席に座って下さい」となっている。しかし、今空いている
席が盛岡まで確実に空いているか不明なので、途中駅に着くたびに一端席を立ち、この席に
誰かこないかを確認していたので、居心地は悪かった。従って、全車指定席の列車ではちゃんと
座席を予約する方が安心であり、こんな事なら最初から座席指定が受けられる「青森往復割引
キップ」を購入すべきだった、と後悔した次第である。
盛岡からは、秋田新幹線の「こまち号」の座席指定券を買っておいたので、安心してくつろげた。
東京駅に22時8分に到着。 今回も、日曜日遅くの帰宅であった。
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