3日目 4月9日(火)
新潟-東三条-燕三条-東三条-長岡(長岡散策)-直江津(直江津散策)-糸魚川-南小谷-信濃大町-松本-大月-八王子-町田
この日は、新潟から東三条経由で長岡、直江津、糸魚川へ行き、糸魚川から大糸線と中央線を通って自宅へ帰るコース。 途中、長岡と直江津で散策。
(3日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
まず最初に、JR弥彦線の燕三条をめざして、新潟 7:44 の電車に乗車し、途中の東三条で弥彦線の乗り換え 燕三条に 9:01 に到着。燕三条は上越新幹線も
乗り入れており新幹線を利用すれば13分しかかからないところを、今回は青春18キップ利用なので在来線で遠回りする事となった。燕市はものづくりの
まち、として有名で何かそれを体験できるところはないか、と考え燕三条で下車したのであるが、徒歩圏内では良いものはなかったので、燕三条駅に展示
されているものを見るだけにして、すぐに東三条方面へ引き返した。 代わりに長岡市内を散策することにし、東三条から長岡行きの電車に乗り換え、
長岡には 10:08 の到着。
(長岡市内の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
駅構内の観光案内所で「歩いてまわる長岡まちなか観光スポット」というパンフレットを入手し、最初に山本五十六(やまもと いそろく)記念館へと向かう。
山本五十六は日本の海軍軍人で、勝機の少なかった太平洋戦争に反対しながらも真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を指揮した悲劇的な指揮官として知られている。
しかし彼の言葉・思想は自衛隊などの教育方針として引き継がれているほか、現在にも通用する経営者や指導者のための名言を残しており、記念館には彼の
生涯の足跡を示す資料などが展示されている。
記念館を出た後は、長岡市内をぶらり散策したが、長岡城の本丸があった場所が長岡駅になっており、駅から少し離れたところに二の丸址の石碑があるだけで
城跡の面影はほとんどない。一方長岡の花火は日本三大花火大会の1つとして有名なので、長岡駅前には正三尺玉の打ち上げ筒がモニュメントとして展示されて
いた。
新潟~長岡までの写真
長岡 12:07 発の電車で直江津まで行き、そこから第三セクターの「えちごときめき鉄道」に乗り換え糸魚川方面に向かうが、乗換の待ち時間が約1時間あった
ので、直江津市内を散策する事にした。 といっても時間の制約があるため直江津駅から徒歩20分ほどかかる「旧直江津銀行」の建物を見ることを最優先
とした。
(直江津駅周辺の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)
ライオン像のある館として有名な旧直江津銀行は明治期の直江津の商工業を支えたが、大火によって焼失後再建され、海運業を営む高橋達太がこの銀行の建物を
取得し、回漕店の社屋として使用していたものである。この建物は上越市最古の擬洋風建築であり、この日は休館日で入場できなかったが、館内には銀行当時の
金庫、木製カウンター、ドイツ製天井扇風機が残されているようである。
長岡~直江津~自宅までの写真
多少急ぎ足で直江津駅にもどり、「えちごときめき鉄道」で糸魚川まで行き、そこからJR大糸線で松本方面へと向かう。
糸魚川-南小谷まではJR西日本管轄の非電化区間であるが、南小谷からは電化されており特急電車も走っている。この大糸線は2003年6月に乗車して以来であるが、
糸魚川-信濃大町間は当時とほとんど変わっていないように見えた。 南小谷からは一度信濃大町で乗り換え、松本には 18:12 に到着。
松本から大月行きの普通列車に2時間半ほど乗車し、大月から八王子で横浜線に乗り換え、町田には23時頃の到着となり、松本からはひたすら電車に乗って
音楽を聴いている、という状態であった。
自宅には何とかその日のうちに到着することができ、今回の青春18キップの旅も終了となった。
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