3回目 2016年12月27日~2016年12月28日

12月27日(火)
 玉川学園前-町田-小田原-大垣-米原-草津-柘植-亀山-鳥羽(散策)-松坂-伊勢奥津-松坂-名古屋-岐阜-蘇原(泊)

12月28日(水)
 蘇原-多治見-可児…名鉄新可児-名鉄犬山(明治村散策)-名鉄新鵜沼…鵜沼-岐阜-豊橋-浜松-静岡-沼津-熱海-小田原-町田-玉川学園前


12月27日(火)



 (12月27日の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)


 ムーンライトながらの座席指定券が確保できたので、この日は今年(2016年)9月に計画したが台風のために実現できなかった草津線と関西線の
 一部および太多線、更に鳥羽線と名松線の乗車を目的とした乗り鉄の1日である。

 何回か乗車した「ムーンライトながら」で、今回も小田原を 0:31 に出発し、大垣、米原で乗り換え関西方面へと向かったが、今回は草津で
 草津線の電車に乗り、柘植へと向かう。 前回は途中の貴生川から先は台風のため乗車できなかったが、今回は柘植まで行く事ができた。
 柘植からは関西本線の列車に乗り換えで亀山まで行き、亀山から鳥羽行き列車へと乗り換える。
 昔は亀山駅は関西本線と紀勢本線が乗り入れる主要駅であったが、今は名古屋から紀勢本線へ向かう列車は亀山を通らず第三セクターの伊勢鉄道を
 経由。しかし名古屋-亀山間の需要は高いようで、この区間は電化され快速電車も走っている。

   鳥羽市内散策ほかの写真

 亀山を出発して伊勢鉄道と合流する津やその先の松坂といった三重県の主要都市では近鉄線も乗り入れている。松坂から2つ目の多気で、紀勢本線と
 伊勢方面に向かう参宮線とが分岐するが、亀山から乗車した列車は参宮線直通の鳥羽行きなので引き続き乗車する。
 伊勢市駅でまた近鉄線と出会い、さらに海水浴シーズンの休日しか営業しない「シーザイド池の浦」駅を通過して終点鳥羽駅に 11:01 に到着。
 亀山からは約1時間40分の行程であった。鳥羽駅も近鉄線と隣接しており、圧倒的に近鉄線の方が立派な駅の設備であった。
 近鉄鳥羽駅には、大阪方面からの特急電車が停車するが、あの有名な「しまかぜ」号は見つからなかった。

 鳥羽駅で約1時間ほど時間があったので、鳥羽駅から徒歩10分程度の距離にある城山公園へと向かう。城山公園は鳥羽城址の北側にあり鳥羽の港が
 一望でき、有名な観光スポットの鳥羽水族館の建物もすぐそこに見る事ができる。 鳥羽城は永禄12年(1594)に九鬼嘉隆が築城したもので、
 少し前まであった鳥羽小学校も老朽化のため移転したため、今は石垣しか残っていない少し荒れた更地という状態である。しかし、ここからの展望を
 見ると三面海に囲まれた天然の優れた城であったことが想像出来る。眼下の近鉄線は鳥羽より先の賢島までの路線で、結構頻繁に電車が通っていた。
 城山公園から降りて港の方を近くを歩いていると、遊覧船やミキモト真珠島の看板があった。 以前に家族旅行でミキモト真珠島に来た事があるが、
 あれからもう20年以上経過している。 鳥羽港の遊歩道を通り、近鉄鳥羽駅ビルに伊勢うどんを食べられるところがあったので、これを食べ、短い
 鳥羽の滞在が終わった。




 (鳥羽市内散策。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。)


 鳥羽発 12:13 の「快速みえ」で松坂まで行き、松坂から名松線に乗り換える。 名松線は松坂と名張を結ぶ路線であったが、途中の伊勢奥津から先
 の名張までの路線は未建設のままとなっている。今は松坂から近鉄線に乗れば名張まで行くことができるので、伊勢奥津-名張間はおそらく建設される
 事はないと思われる。名松線は松坂-伊勢奥津の 43.5km を約1時間半で結ぶ路線であるが途中の家城駅で10分以上の時間調整の停車があった。
 伊勢奥津駅のそばに観光案内交流施設「ひだまり」があり、この付近の情報提供や特産品の販売を行っている。またお茶のおもてなしもやっており、
 私もお茶を一杯頂いた。

   名松線の写真

 伊勢奥津からの折り返し列車に乗り松坂へ戻る。帰りも家城駅で10分以上停車時間があった。
 松坂からは快速「みえ」で名古屋へと向かう。途中伊勢鉄道区間をとおるが車内で510円払い精算し、名古屋には 18:05 の到着であった。
 名古屋で夕食を済まし、岐阜まで行きそこから高山本線に乗り換えて蘇原(そはら)駅で下車。 今夜の宿泊地のホテルルートイン各務原はこの駅
 から徒歩15分程度の距離であったが、すっかり暗くなっていたのでずいぶん遠い気がした。


12月28日(水)



  (12月28日の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)


 この日のメインは明治村観光であるが、その前に今年(2016年)9月に台風のため実現できなかった美濃太田-多治見間の太多線へ乗車した。
 ホテルを朝7時過ぎにチェックアウトし、蘇原発 7:29 の列車に乗り多治見へと向かう。 蘇原は無人駅だったので結局多治見駅で青春18キップの
 スタンプを押してもらったが多治見までは通学時間帯だったため高校生らしき乗客が多かった。 多治見駅で折り返し、途中の可児(かに)駅で下車
 するとそこは名鉄新可児駅に隣接しているので、ここから名鉄線で犬山まで行く事ができる。 明治村へのバスは犬山駅東口から出発するが、接続時間
 が2分しかなく走ってかろうじて間に合った。 犬山駅から明治村までは路線バスで20分の距離であるが、この線は生活路線のためか途中までは地元
 の住民も乗車していた。 バスは明治村の 9:57 に到着。

 明治時代は日本が門戸を世界に開き欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代であり、従って明治時代の建築物も
 江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ近代建築の素地を築いたものである。
 これらの明治時代の建築物は、震災・戦災などで失われたり、公私の開発事業により取り壊されていく中で、これらの文化財の保存をはかるために
 この明治村が創設された。
 今回は、2700円の「のりもの一日券付入村券」を購入し、早速村営バスで正門から一番遠い5丁目エリアへと向かう。最初に見たのが「帝国ホテル
 中央玄関」で、中に入るとメインロビー中央には三階までの吹き抜きがあり、廻り階段を昇る毎にいろいろな視界が開かれる。二階にコーヒーなど
 を提供する喫茶室もあり営業していた。隣の趣のあるレンガ積みの「名鉄岩倉変電所」と、明治政府の中央図書館である「内閣文庫」を通り、
 むかし東京の中心地の日本橋のシンボルとなっていた「川崎銀行本店」の建物の中に入ると階段があり屋上からの眺めを楽しんだ。
 5丁目地区の一番東側にあるのが「大明寺聖パウロ教会堂」で、長崎湾の伊王島に創建されたものである。この建物の外観は外観は普通の農家の姿に
 しか見えないのは、建築された当時はまだキリスト教禁制の影響があったためのようである。

   明治村の写真(その1)

 ちょうどSL(蒸気機関車)に乗れそうな時間となったので、「金沢監獄中央看守所・監房」は後で見る事にして「SL東京駅」から「SL名古屋駅」
 までの短いSLの旅を楽しんだ。SLが走る路線はやや高いところにあるので、SLから明治村の文化財を眺めるのは楽しい。
 この区間で2台のSLが交代で三等客車を牽引し「SL名古屋駅」では回転台でSLが方向転換するところも見ることができて、乗客は満足げであった。
 「SL名古屋駅」の近くに「市電名古屋駅」があり、何故か「市電京都七条駅」を経由して「市電品川灯台駅」というルートとなっているので、
 次に市電に乗ることとした。この付近は4丁目エリアとなっている。市電の発車時間まで少し時間があったので、「歩兵第六聯隊兵舎」の建物と
 「六郷川鉄橋」の上にある「尾西鉄道蒸気機関車1号」を見ることができた。 市電で「市電品川灯台駅」で下車すると付近は3丁目エリアになって
 おり、「品川燈台」からは入鹿池(いるかいけ)の眺望はすてきであった。なおこの入鹿池は国内最大級の貯水量をほこる農業用ため池であり、
 2015年に「世界かんがい施設遺産」に登録されている。 「品川燈台」の近くの「長崎居留地二十五番館」は工事中で残念ながら入場できなかった
 ので、「神戸山手西洋人住居」に入ったが、3ヶ月前に神戸に行って見てきた建物群のものと類似していて懐かしかった。

 3丁目エリアをぶらぶらした後は、4丁目エリアのレストランで「きしめん」を食べ、村内散策を開始する。
 最初に「第四高等学校武術道場 無声堂」に入ったが、この「無声堂」は大正6年(1917)金沢の第四高等学校に建てられたもので、柔道、剣道、弓道
 三つの道場を兼ね備えた大きな洋風建築物である。この道場の床は工夫されており、例えば剣道場では音の反響を良くするため床下に共鳴用の溝を
 掘っている、との事である。
 たまたま「無声堂」バス停から正門方面のバスが来たので上り坂という事もあってバスに乗り1丁目のエリアの「聖ヨハネ教会堂」バス停で下車し、
 「三重県尋常師範学校・蔵持小学校」の建物へ入った。建物の中には当時の教室や古い教科書などの展示もあった。 次に細い坂道を上りながら
 「聖ヨハネ教会堂」へと向かう。この教会堂は、明治40年(1907)京都の河原町通りに建てられたプロテスタント系の教会で、細部にゴシックの
 デザインを交えた外観となっている。教会堂から少し下ったところに「西郷從道邸」がある。ここは西郷隆盛の弟の西郷從道の東京目黒での自邸内
 に建てられたもので、内部も開会されていた。その隣の建物が東京都文京区にあった「森鴎外・夏目漱石住宅」で、最初に森鴎外、その後夏目漱石が
 住んでいたところであり、森鴎外の「舞姫」と夏目漱石の「吾輩は猫である」はここで書かれた。


 次に2丁目エリアへ向かう。このエリアで最初に目につくのは「京都七条巡査派出所」でその隣の「札幌電話交換局」では内部で電話に関する
 いろいろな展示があった。「安田銀行会津支店」ではハイカラ衣装館となっていて、明治時代風ドレスや矢絣・袴姿に着がえて、明治村を満喫
 する事ができる。2丁目エリアで「第四高等学校物理化学教室」、「東山梨郡役所」、「清水医院」、「東松家住宅」を見た後、市電の「市電京都
 七条駅」から「市電名古屋駅」まで行き、再び4丁目エリアの建物を見る。「日本赤十字社中央病院病棟」は東京都渋谷区広尾にあったもので、
 内部には当時のベットが再現されている。更に入鹿池方面に歩いて行くと「シアトル日系福音教会(旧シアトル住宅)」があるが、ここは当初は
 アメリカ人の住まいであったが、1930年代(昭和5~14)に日系移民の所有となったものである。 更に歩くと「宇治山田郵便局舎」の大きな建物
 があり、いろいろや郵便ポストなどが展示されており、実際に郵便業務も行っていた。
 再びSLで「SL名古屋駅」から「SL東京駅」まで乗車し、5丁目エリアで見残していた「金沢監獄中央看守所・監房」の中に入る。実際の
 独房の展示もあり当時の受刑者の実態が少し理解できた。その後、「金沢監獄正門」を通り「聖ザビエル天主堂」へと向かう。この白亜の教会堂は、
 近世初頭日本に渡来しキリスト教の伝道に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年(1890)かつてザビエルがいたことのある京都の
 地に献堂されたカトリックの教会堂である。

   明治村の写真(その2)

 その後、東京都文京区にあった理髪店の「本郷喜之床」、今は駄菓子屋となっている「小泉八雲避暑の家」、大阪府池田市にあった芝居小屋で
 ある「呉服座」など興味深い建物を見た後、再度村営バスで1丁目エリアに戻り「三重県庁舎」と「鉄道局新橋工場」を見る。「三重県庁舎」では
 明治時代のくらしのイメージ展示があり、また「鉄道局新橋工場」内には明治天皇や昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が乗られた列車の展示もあり
 興味深かった。
 最後に、神戸市にあった「大井牛肉店」を見たが、2時間ほど前にチラ見した時には牛肉コロッケなどが販売されていたが、この時間(15:00過ぎ)
 では完売となっていた。 正門近くのお土産店で記念に明治村ガイドブックを購入し、約5時間半の駆け足気味の明治村散策は終了した。
 明治村内の建物で、通常は入場できないが無料の建物内ツアー時だけ入場できるものもあるので、次回に機会があれば建物ツアーを計画に盛り込んだ
 散策をしたいと思う。 更に今年(2016年)からイリュミネーション付きで12月の土日と年末に20時まで営業しているので(実はこの日も20時
 までの営業であった)、これもぜひとも見てみたいと思う。




 (明治村散策。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。)


 明治村を 15:30 のバスで名鉄犬山駅へ、その後電車で名鉄新鵜沼まで行く。ここはJR高山線の鵜沼駅と接続しているので、3分間の接続時間
 しかなかったが何とか高山線の岐阜行き列車に間に合った。 岐阜から豊橋まで新快速電車があるが、豊橋-浜松、及び浜松-静岡は各停しかなく
 あまり快適でなかったので、静岡-沼津間は 320 円を出して「ホームライナー沼津8号」に乗車した。 後は、沼津-熱海-小田原の乗り継いで、
 小田原から小田急線に乗り、自宅には 23:30 頃の到着であった。



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