2回目 2016年12月20日
玉川学園前 - 登戸 - 府中本町 - 武蔵浦和 - 川越 - 高麗川 - 小川町 - 高崎 - 大前 - 渋川 - 水上
- 越後湯沢 - 水上 - 高崎 - 篭原 - 新宿 - 玉川学園前
この日は、川越線、八高線、吾妻線への乗車が目的の「乗り鉄」の1日であった。
(2回目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。)
川越線は大宮-高麗川間の路線であるが、今回は登戸から府中本町まで行き、府中本町から武蔵野線で武蔵浦和へと向かう事にした。
武蔵野線は昔は貨物専用線であったが、今は沿線の開発も進んでいる。武蔵浦和で川越行きの電車に乗り換える。大宮までは埼京線区間であるが、
大宮から単線区間の川越線に入る。何故か川越線の電車は、大宮方面からも高麗川方面からも全て川越で乗り換えが必要となっている。
川越から高麗川経由八王子行きの電車に乗り換え高麗川駅で下車。ここから八高線の列車に乗り換える。
高麗川-高崎-大前間の写真
八高線は、八王子-高崎間のローカル線であるが、高麗川-高崎間は非電化区間で列車の本数も少ない。
今回も高麗川から乗車した列車は小川町止まりのため、小川町で約30分の待ち時間となった。 小川町は東武東上線も乗り入れており、東武線の
方が池袋への直通電車も走っており、JR線はおまけみたいな感じであり、実際にも東武鉄道が2社の駅構内を管理している。
ようやく八高線の高崎行きの列車に乗り込む。 途中の寄居駅はJR、東武鉄道、秩父鉄道の3社が改札を共有(管理は秩父鉄道)している駅で
あるが、停車時間が短いので途中下車はできなかった。
寄居を出発し高崎へと向かう。途中の児玉駅は会社に勤めていた時に何回か利用した事があるが、児玉-高崎間は初めて乗車する区間である。
高崎からは吾妻線直通の大前行きの電車に乗り換える。途中の渋川から吾妻線に入るが、終点の大前駅まで行く電車は1日4本しかない。
渋川から吾妻線に入ると単線区間となり、反対方向の電車の待ち合わせも多くなり、平均速度が極端に遅くなる。
途中の小野上駅と長野原草津口駅では停車時間が長かったので、途中下車した。
実は吾妻線は、八ッ場ダム建設の関係で 2014年10月から岩島駅から長野原草津口駅まではダムサイトと水没範囲を迂回するため新線に変更と
なっており、長野原草津口駅のホームから旧線を見る事ができる。 長野原草津口駅は草津温泉への玄関口となっており、草津温泉へはJRバスが
接続している。 ちょうど上野発長野原草津口行きの特急「草津」号が到着し、それなりの人数の乗客がこのJRバスへ吸い込まれていった。
長野原草津口を出発し、大前駅の1つ手前の「万座・鹿沢口」駅は、全国でも珍しい「・」が駅名に入る駅であるが、残念ながら停車時間
が短く途中下車できなかった。 高崎を 10:49 に出発した電車は 12:52 に大前駅に到着した。
大前駅では私と同じく鉄道ファンらしき人々が10人程度下車し、大前駅とその周辺の写真を撮っていた。
押し返し大前発 13:37 の電車で渋川まで引き返す。今度は中之条駅で途中下車し駅前の写真を撮る事ができた。
渋川から水上へとさらに北へと向かう。 水上から先の越後中里までは長いトンネルを通り県境をまたぐので、電車の本数が極端に少なくなるが、
今年の冬は 12/17~2/28 の間、スキー客のためか臨時列車が運行されているので、運良く越後湯沢まで行く事ができた。
途中の土合駅の下りホームは新清水トンネル内にあり、駅舎(地上)からは10分ほど階段を下りないと到達できないという「日本一のモグラ駅」
として親しまれている駅であるが、今回は途中下車は割愛した。 川端康成の小説「雪国」のように、新清水トンネルを出て越後中里駅に着くと
そこは雪が積もっており本当にトンネルを出ると雪国であった。
大前-渋川-越後湯沢間の写真
越後湯沢駅で上り電車まで40分程度の時間があったので、駅の売店を見た後ホームで待っていると、女性の駅員の電車の停車位置の案内を
受けた。話を聞くと、この方は女性運転士で水上まで運転するとの事。最近はJR東日本でも女性の運転士が増えて来たとの話であった。
越後湯沢から水上までの上り線は清水トンネルを通り、土合駅の上り線ホームは地上に存在していた。
水上から高崎行きの電車に乗り換え、高崎の先の篭原で湘南新宿ラインの電車に乗り換え、新宿に 21:58 到着。
ここから小田急線に乗り換え、自宅には 23 時過ぎに到着した。
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