4日目 9月30日(水)
 三沢-小川原湖-子ノ口-石ヶ戸…(奥入瀬渓流散策)…子ノ口-休屋(遊覧船)-小坂町(散策)-新青森-東京-新宿-町田(自宅)




  (4日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。
    ただし、新青森-東京間の新幹線区間は省略)


 この日のメインは十和田湖散策である。宿泊したホテルの朝食時間が6時から可能で予定より早く出発できたので、
 十和田湖に行く前に小川原湖に立ち寄る事にした。 小川原湖は全国で11番目に大きな面積を持つ湖で、青森県では1番の
 広さの湖である。またこの湖は漁獲量が豊富で、シラウオ、ワカサギは全国第一位、シジミ貝は第三位の漁獲高を誇り、
 更に天然ウナギやコイ、フナ、ボラ、サヨリ、沼エビ等が獲れるとの事である。しかし、2018年2月に米軍がこの湖に
 燃料タンク投棄して湖の汚染が心配されたが、現在は多くの漁船が操業しているので問題無いようである。

  小川原湖の写真

 小川原湖を出発し、十和田湖へと向かう。途中から奥入瀬川に沿って国道102号線を走行する。奥入瀬渓流とは、
 十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に焼山までの約 14km にわたる奥入瀬川の渓流の事を指すが、これを全部歩く
 のは体力も消耗するので、今回は子ノ口から途中の石ヶ戸(いしけど)までの約 9km を歩く事にした。
 小川原湖から約1時間半で子ノ口に到着したので、車を子ノ口の駐車場に入れ、JRバスの営業所で子ノ口-石ヶ戸間の
 バス乗車券(480円)を購入する。 子ノ口 9:23 発で石ヶ戸には 9:42 に到着。



   (十和田湖周辺。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 石ヶ戸から子ノ口の間にはいくつかの名所があるが、しばらく歩くと「阿修羅の流れ」と呼ばれるところに到着した。
 ここは雑誌やポスターなどでも頻繁に紹介されている場所で、うっそうと茂った木立の間を激しく流れる水がつくりだす
 景観は非常に魅力的である。次のスポットである「雲井の滝」は、うっそうとした森林にかこまれた断崖から三段になって
 落下する滝で高さが約20メートルで渓流沿いにある滝のなかでも見ごたえのある滝のひとつである。次のスポットは
 「銚子大滝」で奥入瀬渓流本流にかかる随一の滝で高さは約7メートル、幅は約20メートルで、水音高らかに水しぶきを
 あげる堂々たる滝である。この滝は十和田湖への魚の遡上を妨げていたために長いあいだ十和田湖には魚が住めないと
 いわれてきた。 カメラの自撮りを含めゆっくりと散策したため子ノ口に着いたのは石ヶ戸でバスを下車してから約
 2時間半後の 12:10 頃であった。

  奥入瀬渓流の写真

 子ノ口から再びレンタカーを走らせ十和田湖畔の休屋に到着したが、駐車場の場所を事前に調べておかなかったため
 少し時間を無駄にしてしまった。 しかも便利が良い北駐車場でなく南駐車場を使う事になってしまった。
 休屋から 13:15 に出航する遊覧船があったのでこれに乗船する事にした。最初は全部で10名程度の乗客しかおらず
 少し寂しかったが、出航時間直前に20名以上の団体客が乗船てきた。この便は休屋に戻ってくるルートであるが、
 休屋から子ノ口へ行くルートと交互に運行しているようである。 この遊覧船は乗車時に手の消毒と検温を行っており
 感染症対策がされていた。 この遊覧船は(季節によっては)新緑や紅葉で色づく山々や、入り組んだ半島を巡り、
 切り立った断崖などを湖上から眺めることができ、船内放送で説明もして頂けるので非常にわかりやすかった。
 ただし、現在コロナ禍で外国人旅行客がいないためなのかは不明であるが、説明は日本語のみであった。
 約50分の湖上遊覧を楽しんだ後は、十和田湖のシンボルとも言える「おとめ像」へと向かったが、これが遊覧船
 のりばから少し離れていて意外と遠く歩いて15分ほどかかった。「おとめ像」は詩人にして彫刻家であった高村光太郎
 の傑作として知られている。光太郎は「立つなら幾千年でも黙って立ってろ」と詩にも詠んでいるが昭和28(1953)年秋
 の完成からすでに67年が過ぎている事になる。 「おとめ像」へ行くならば北駐車場の方が利便性が良かったのだが
 約20分程歩いて南駐車場へようやくたどり着いた。

  十和田湖 (休屋周辺)の写真

 南駐車場を 14:30 頃に出発し、途中、発荷峠という十和田湖を展望できる絶景スポットに立ち寄った後、次の目的地
 である鉱山で栄えた小坂町へと向かう。 15:20 頃に小坂町の中心部の到着。



 (小坂町散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)


 小坂町は、19世紀初頭(江戸時代末期)に小坂鉱山が発見された事により、金・銀の採掘の鉱山産業地域として栄えた。
 明治時代には銅・亜鉛の採掘も行われ、小坂鉱山事務所を始めとして多数の近代建築が建てられ、町は大いに栄えた。
 採掘の活動拠点であった「小坂鉱山事務所」、小坂鉱山従業員及び家族の慰安施設として建てられた日本最古級の芝居小屋
 である「康楽館」、採掘物を運ぶために建設され現在は廃線となった旧小坂鉄道の線路と設備を利用した「小坂鉄道
 レールパーク」の3点を見学する事にした。 なお、小坂町では鉱山資源の採掘の面では衰退したが、長い技術の蓄積
 を活かして各種廃棄物から元の金属を取り出すリサイクル工場もあり、最近また注目されつつある、との事である。
 最初に行った「小坂鉄道レールパーク」は、秋田県の大館駅から小坂駅までの旧小坂鉄道の駅舎と昔の車両が残って
 おり、レールバイクの乗車体験や全国で唯一と言われているディーゼル機関車運転体験ができ、また、かつて首都圏と
 東北地方を結んだ寝台特急(ブルートレイン)「あけぼの」号の寝台車車両があり、この寝台車への宿泊もできる
 ようになっている。ただし、寝台車には「さくら」や「エルム」という列車名表示となっており、「あけぼの」の
 表示はなかった。 「康楽館」の外観は正面屋根のアメリカ木造ゴシック建築の影響を受けた軒飾り、唐草がからんだ
 棟飾りなど、白亜の西洋建築となっており、内部には切穴(すっぽん)や回り舞台といった人力によって動く仕掛けや、
 花道、昔ながらの桟敷席など、往時の趣を今なお残している。現在も毎年4~11月ほぼ毎日常打芝居(人情芝居、舞台ショー)
 が行われている。「小坂鉱山事務所」は白亜の木造3階建て、飾り窓などルネッサンス風の外観や正面中央のバルコニー
 付きポーチ、見事な曲線美を描くらせん階段は建築学的にも高く評価されている建物で、館内は建築の特徴や移築復原の
 記録展示のほか、小坂町の物産を揃える「明治百年堂」やレストラン、レンタル衣装写真撮影を楽しめる衣装室もある。

  小坂町の散策

 約1時間半ほどの小坂町の散策を終え、近くの東北自動車道小坂ICから新青森駅方面へと向かう。途中津軽SAに
 寄ったがコロナ禍のためか営業時間が15時まで短縮営業となっていた。約1時間ほどのドライブで無事に新青森駅
 に18時頃到着しレンタカーを返却できた。ついでに東京行の列車を 18:24 発の「はやぶさ44号」に変更して
 もらったが、この列車は八戸通過など停車駅が少ないため、当初の予定より2時間半も早く東京に到着できた。
 東京には 21:04 に到着だったので、22:30 頃には自宅に着くことができた。


   大人の休日倶楽部パスによる下田・河口湖および青森県ドライブ(下北半島・十和田湖など)旅行記 TOPにもどる