2日目 10月15日(木)
 掛川 - 桜木(駅舎見学)- 原谷(駅舎見学)- 遠州森(駅舎見学)- 遠州一宮(駅舎見学)- 西鹿島(天竜川橋梁見学)
  - 浜松(市内散策:浜松市楽器博物館、中田島砂丘、浜松城など)…… 遠州病院 - 西鹿島 - 掛川 - 静岡(新幹線)- 新横浜


 この日は、天竜浜名湖鉄道(天浜線と呼ばれている)の掛川-天竜二俣間の東側で国登録有形文化財となっている駅舎を見学後、
 浜松市に入り浜松市内を散策し帰路に向かう、というコースである。




(2日目の行程。 GPSロガーを使って、ログデータから実際に移動した場所を表示。 青色が実際に移動した軌跡。
   ただし、JR掛川駅から自宅までのルートは省略)



 昨年(2019年)の12月に天竜浜名湖鉄道(天浜線)の新所原-天竜二俣間の国登録有形文化財となっている駅舎を散策したので、
 今日の最初の目的として、残りの掛川-天竜二俣間の駅舎を見学すべく、ホテルをチェックアウト後、途中掛川城を見ながら
 掛川駅へと向かう。掛川駅はJR東海道本線と天浜線が乗り入れているが、天浜線の駅で「東ルート 天浜線・遠州鉄道共通1日
 フリーキップ」を購入した。このキップは、天浜線の東側の掛川-西鹿島間のほか、遠州鉄道の浜松-西鹿島間が乗り放題となる
 便利なキップである。 東ルートで見学する駅は、桜木、原谷(はらのや)、遠州森(えんしゅうもり)、遠江一宮(とおとうみ
 いちのみや)の4駅である。天浜線は、朝夕は1時間に2~3本走っているが日中は1時間に1本しか走っていないため、最悪駅で
 1時間待ちという悲惨な状況になるが、掛川 7:34 発の列車に乗る事により、桜木と遠州森で約20分待ち、原谷と遠江一宮では
 行き違い列車交換のための3分間で駅舎を見学する事にしたため、効率良く国登録有形文化財を鑑賞する事ができた。
 最初に見学した桜木駅は駅本屋と上りプラットフォーム、原谷駅は駅本屋、遠州森は駅本屋と上りプラットフォーム、遠江一宮は
 駅本屋が国登録有形文化財の指定を受けている。4駅の中では遠州森がインフォーメーションセンターやレンタサイクルなども
 整備されている主要駅であるが、まだ朝の9時前という事でオープンしておらず駅前はひっそりしていた。
 4つの駅舎を効率良く見学し西鹿島駅には 9:13 に到着する事ができた。
 西鹿島駅から徒歩で約10分のところに天竜川橋梁があるので、せっかくなので行ってみた。この橋梁は天浜線で最長の403m
 で、これも国登録有形文化財に登録されている。列車の本数が少ない時間帯であったが、何とか列車がこの橋梁を走行する写真を
 とることができた。

  掛川-西鹿島間の写真

 西鹿島駅から遠州鉄道に乗車して浜松駅へと向かう。こちらは日中でも1時間に5本走っており、浜松市のベットタウン路線の
 様相である。 西鹿島駅から33分の所要時間で浜松駅に到着。
 浜松市内散策では、浜松市楽器博物館、中田島砂丘、浜松城を散策する事にした。当初は浜松駅近くの地上45階で高さ180m
 のアクトタワー展望回廊へ行く予定だったが、現在コロナ禍の影響で残念ながら営業していなかった。浜松市楽器博物館は日本で
 唯一の公立楽器博物館であり、ヤマハ・カワイのような世界的楽器メーカーが本社を置く浜松市が「音楽の街づくり」の一環として
 設立した博物館である。館内には世界中の楽器が約1300点、アジア・オセアニア・アフリカ・アメリカ・ヨーロッパ、日本と
 エリアごとにコーナーが分けられ、世界各地の楽器がズラリと展示されている。この日は、開館25周年記念企画展として「知られ
 ざるベートーヴェン」が開催されており、「エリーゼとは誰か」、「耳が聞こえなくなっても作曲できたのは何故か」、「日本では
 何故年末に第九交響曲を演奏するのか」といったいろいろな謎に対し、諸説がパネル展示されておりとても興味深かった。
 
 次は、浜松駅からバスで中田島砂丘へと向かう。日本にある砂丘と言えば鳥取砂丘が有名であるが、中田島砂丘も日本三大砂丘の
 1つと言われている(残りは鹿児島県の吹上浜)名所である。 中田島砂丘は首都圏から比較的近いためか、テレビドラマや映画
 など多くの撮影地として使われているとの事である。毎年5月のGW期間中には「浜松まつり」が開催され、中田島砂丘は凧あげ
 の会場となっている。この日は天気も良く、砂丘から太平洋の絶景が見られたが、ここは水平線に落ちる夕日が綺麗な場所とでも
 あり、遠州灘から吹く「からっ風」と呼ばれる強い風が作り出す美しい風紋とともにセールスポイントとなっている。
 中田島砂丘の近くに「浜松まつり会館」があったので立ち寄ってみた。ここは前述の「浜松まつり」を疑似体験させてくれるところ
 で、臨場感あふれた音と光と映像、や実物の大凧や屋台などを見る事ができる。

  西鹿島から中田島砂丘周辺までの写真

 中田島砂丘からバスで浜松駅に戻り、更にバスを乗り換えて、次の目的地である浜松城へと向かう。
 若き日の徳川家康が築き17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となった事から別名「出世城」と呼ばれている。
 また浜松城の石垣は、自然石を上下に組み合わせて積み上げる「野面(のづら)積み」となっている。この城は明治維新後廃城令
 が出されたため城郭は壊され荒廃していたが、昭和33年に野面積みの旧天守台の上に新天守閣を再建し翌年には浜松市の史跡に
 指定されて現在に至っている。城内は若き日の家康と城下町の資料を多数展示しており、天守からは浜松市街地を一望できるが、
 金網がはられていたので、写真撮影には不向きであった。
 入手した浜松城のパンフレットに「歩いて感じる家康の散歩道」の紹介があったので、浜松城の近くのスポットを歩いて見る事に
 した。最初は「家康公鎧掛松」で三方ヶ原合戦で帰城した家康が鎧を脱いで松の枝に掛けたと伝えられているところである。
 次の「東照宮(引馬古城趾)」は浜松城の前身である引馬城趾であり、日光や久能山と同じく家康を祭るお宮となっている。
 ここに秀吉と家康の銅像があり「出世の街浜松」との記載があったのが印象的であった。次の「椿姫観音」は家康と戦い討死した
 引馬城の女城主の椿姫の伝説が残る場所である。次の「浜松八幡宮」は家康が浜松城の鬼門に位置する当宮を篤く信仰し、度々
 参拝したと伝えられるところである。「浜松八幡宮」の最寄り駅である遠州鉄道の八幡駅から電車に乗り1駅先の遠州病院駅で
 降りると「二代将軍徳川秀忠公誕生の井戸」が駅前の交番裏にあるが、ここは二代将軍秀忠が産ぶ湯に使ったと伝えられる井戸跡
 となっている。「歩いて感じる家康の散歩道」には15個のスポットが記載されているが、今回浜松城を含めて6カ所を散策でき
 たが、たくさん歩いたためこの日も23000歩の歩行数となった。

  浜松市中心部の写真




   (浜松市内中心部の散策。 GPSロガーのログデータで実際に移動した場所の軌跡を表示)

 浜松から掛川まではJR東海道本線を使った方が時間が節約になるが、まだ17時前だったので、遠州病院-西鹿島-掛川と
 いうルートを引き返す事にした。(「東ルート 天浜線・遠州鉄道共通1日フリーキップ」が使えるので追加の交通費は不要)
 多少時間がかかったが掛川には 17:22 に到着。 昨日同じく静岡までJR東海道本線を使い、静岡 18:41 発の「ひかり516号」
 に乗る事ができ、新横浜には 19:24 に到着したので、自宅には21時前に着く事ができた。
 青春18キップを使った各停乗り継ぎの場合に比べ格段に快適だったので、次回からはもう少し新幹線を利用しようと思った。


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