6月4日(金) 第1日目
うちの会社の研究所が奈良県生駒市にあり、以前から行って見たいと思っていたところ、うまい具合に
金曜日にその研究所に行く出張となったので、今回も土日に奈良散策を行う事とした。
京都−奈良間が、JR/近鉄が選択できて、奈良近郊が乗り放題の、「奈良・大和路フリーキップ」
を、一緒に出張に行く同僚に勧めたのは言うまでもない。
新横浜発8:32ののぞみ7号で、同僚2人と3人で京都に向かう。 新横浜−京都間は約2時間で、列車
内で 本日午後からの打ち合わせの書類に目を通しているうちに、あっという間に着いてしまった。
京都駅から近鉄線に乗り換えたが、たまたま特急電車が停車していたので、これに乗ることにした。
何を隠そう、私は何度も奈良に来ているが、近鉄特急に乗るのは、これが初めてであった。
すいている車内で、のんびりとゆったりして車窓を眺める事ができるのは格別で、大和西大寺までの
約30分間500円の特急料金で、この開放感を味わえるのなら、安い方かもしれない。
特急電車に乗れたおかげで、予定より早い時間に大和西大寺駅に着いたので、同僚を歩いて約15分
ほどの平城宮跡に案内する事にした。
710年から794年までの奈良時代のうち、784年まで都のあった場所で(その後は恭仁京に遷都)、
平成22年が遷都1300年に当たるので、現在急ピッチで復原工事が進められている。
この平城宮跡の南側に一足先に復原されたのが朱雀門(すざくもん)である。
ここから、今はただの原っぱとなっている北側の平城宮跡を眺めながら、大昔にあった都を想像する
のも悪くない。 ちょうど近鉄特急電車が通った。ここの風景はなかなか絵になる光景である。
朱雀門の写真
再び、大和西大寺駅にもどり、昼食をとり、タクシーで会社の研究所に向かう。
本日の夜は、会社で手配してくれた、ホテルフジタ奈良に宿泊したが、夜同僚と3人で近くの料理屋で
歓談して楽しかった。
6月5日(土) 第2日目
今日は、約25年前、今の会社に入社して間もない頃に歩いた、柳生街道を歩き、滝坂の道を通って
奈良市内に戻る予定で、ホテルを朝7時半頃チェックアウトした。 柳生街道には、昔と同じく、
JR関西本線の笠置(かさぎ)駅から入る事にした。 関西本線は、大阪から名古屋までであるが、
大阪−奈良−加茂までは電化されていて快速電車も走っているのに、加茂からは1時間に1本程度
のローカル線である。 笠置は加茂からわずか一駅であるが、加茂駅発8:12のディーゼルカーに
乗り遅れると1時間近く無駄になるので、頑張って早起きしたわけだ。
笠置寺〜柳生の写真
加茂から笠置までの一駅の間は、それまでの近郊都市風景とは一変して、大きな木津川の渓谷を
走る。10分弱の車窓はなかなか印象深かった。 笠置駅とその周辺は、25年前の昔とほとんど
変わらない風景のように思えた。 笠置寺は、山の山頂にあるが、その前に雄大な木津川を眺める
ため、少し寄り道した。 木津川の川原には、家族でキャンプしている姿を見かけたが、25年前の昔
にはアウトドアブームなど無かったので、多少は変わったのかな、と感じてしまう。
山頂にある笠置寺に行く遊歩道が、何故が通行禁止になっていたので、何の変哲もない車道をひた
すら約15分程歩く。 途中、先ほど木津川を眺めた橋が眼下に見えた。
笠置寺は、その巨岩に刻まれた大磨崖仏と、1周800mある修行場が有名であるが、今日はこの後
いろいろと行きたいところがあるので、修行場めぐりは割愛した。 このお寺の境内にある事務所の
ようなところに近づくとセンサーが働き、自動的に「拝観料を○○に入れて下さい。」とアナウスされる
のにはびっくりした。 また境内のあちらこちらに、「拝観料を払わず、ズルをしても仏が見ている」と
いった主旨の表示があった。 もちろん、私はちゃんと拝観料を払った。
この笠置寺の所在地は、奈良県ではなく京都府なのである。 このお寺は、基本的には修行場めぐり
を目的とする人が多いため、いわゆる観光客は少ない。 お寺にも、京都観光に来る人は多いが、
ここまで足を運ぶ人は少ないので、よくおいでくださった、という歓迎のことばが本堂に記載されて
いた。 確かに、この時も3〜4人に出会っただけだ。
笠置寺から柳生に向かう。 25年前はハイキングに最適なコースだった記憶があるが、現在は途中に
大きなゴルフ場ができたため、途中から広い車道を歩くことになり、つまらなくなる。
柳生での最初のチェックポイントは、阿対(あたや)の石仏で、流行病除けに大きな阿弥陀如来像が
彫られていた。 でも石仏に関しては、当尾の里にはかなわないであろう。 さらに柳生の中心地に向
かって歩いて行くと、お城の形をした家がモデルハウスとして売られていたので、びっくりしてしまう。
柳生といえば柳生一族、特に柳生十兵衛を連想してしまうが、その十兵衛が植えたといわれている1本
の杉の木が十兵衛杉である。 ただし、昭和47年の落雷のため、今ではすっかり枯れてしまい無惨な
姿をさらけ出している。 このあたりは、本当にのどかな、時間がゆっくりと過ぎるような田舎の光景が
続いており、野菜類の無人販売もあった。
次に訪れたのは、旧柳生藩家老屋敷である。 ここは、もともとは柳生藩の国家老の旧宅であるが、
昭和46年に放映されたNHKの大河ドラマの「春の坂道」で有名になったところである。作家の山岡
荘八は、ここでこのドラマの構想を練ったといわれ、展示物にも、彼の色紙や春の坂道関係の物が
多かった。 次は、柳生陣屋跡を訪れたが、ここは今は昔存在していた建物に合わせて石が置かれて
いるだけの寂しいところであった。 この日はやたらと人が多かったが、ちょうど見どころとなっている
「柳生花しょうぶ園」へ行く人が多いためのようだ。
柳生を後にして、バスで次の目的地である円城寺(えんじょうじ)へと向かう。 円城寺は運慶が造った
国宝の大日如来坐像が有名である。 でも、円成寺は庭園もなかなか良い。 本堂にあがりのんびりと
した気持ちでくつろいで、携帯電話機を取り出すと、何とここは圏外であった。これでは親しい友人に
メールも送信できないが、携帯電話も通じないところでのんびりするのも良い、と考え直した。
円成寺の庭にあるお休み処で、名物となっている「とうふ田楽」をおいしくいただいた。
今日のもともとの予定は、ここから滝坂道(たきざかみち)を10km近く歩き奈良市内に行く予定であった
が、天気予報では明日の天気が良くないようなので、今回の目的で明日の予定であった、山の辺の道
(の一部)を歩くために、急遽バスで奈良市内へ向かうことにした。
円成寺〜山の辺の道の写真
山の辺の道は、天理から桜井まで約16kmある古代の道であり、昨年(2003年4月)に、このうちの一部
である、大神神社−長岳寺を歩いたので、今回は残りの部分(石上神宮−長岳寺、大神神社−桜井)を
歩く事にした。
まずは、石上神宮の最寄り駅である天理駅に向かったが、JR桜井線は列車の本数が少なく待ち時間
が多そうだったので、近鉄線で行くことにした。
近鉄天理駅から、石上神宮(いそのかみじんぐう)までは、ひたすら天理市内を歩く事になり、特に関心
あるものは無い ので、時間節約のためタクシーに乗った。 天理市はその名の通り天理教一色の街で
あるが、石上神宮は天理教とは何も関係なく神武天皇が即位した時に宮中に祭られたといわれている
日本最古の寺の1つである。
石上神宮を過ぎて約10分程歩くと、永久寺跡がある。 永久寺の永久は
forever と意味ではなく、建て
れた1113年が永久元年であった事に起因する。明治維新の廃仏毀釈で完全に破壊され、今は池が残っ
ているだけの寂しいところであるが、かつては法隆寺並みの大きな寺だったようだ。 先へ進むと、峠の
茶屋がありここでは食事もできるようだが、ここを通り過ぎると夜都岐(やとき)神社へ着いた。 ここは、
藁葺屋根の拝殿があるだけの寂しいところで、人影もなく暗くひっそりとした神社であった。
ここから、のどかな田園風景を見ながら長岳寺へと向かう。 途中、竹之内環濠集落(たけのうちかんごう
しゅうらく)といって、周囲に堀をめぐらし、竹で屋根を隠すようにして外敵を防いでいたといわれている
集落の跡地を通ったが、現在は堀が残っているだけである。
しばらく歩くと、もう長岳寺の山門前に着いてしまった。長岳寺は山の辺の道のほぼ中間にあるが、やはり
北側は南側に比べ、見るところは少ないと感じる。 長岳寺の境内は、昨年(2003年)4月に入ったので、
今回はパスしたが、天理市が開いた青垣トレイルセンターへは今回も立ち寄った。 ここは無料休憩所を
兼ねた学習施設であるが、ここに立ち寄ったのは、昨年からの疑問を解決するためである。 私は、学生
時代、天理山の辺の家ユースホステルに何回か宿泊したが、それが今どうなったのか知りたいと思って
いたのでここの職員に訊いて見たところ、何とユースホステルがこのトレイルセンターに変わったとの事で
あった。 場所的にもそうかなと思いつつ、結果がわかり一安心といったところであるが、昔よく宿泊した
施設が閉鎖されたのは、やはり寂しい気持ちがした。
昨年4月は長岳寺から大神神社まで歩いたので、今回は大神神社までは電車で行き、残りの桜井駅まで
を歩く事にする。 といっても、長岳寺から最寄りのJR柳本駅までは徒歩で25分程度かかり、しかもJR
桜井線が30分待ちという悲惨な状態であった。 携帯電話機で友人にメールを送る。 私はまだ携帯
電話機の文字入力が早くできないので、30分はすぐ過ぎてしまい好都合であった。
柳本駅から三輪駅まで電車に乗る。 三輪駅から大神神社は近く、すぐに大神神社の境内に着いた。
人が集まっていたので何かと思いきや、境内の岩から蛇が顔を出していたのにはびっくりした。
大神神社から桜井駅までは、今回が初めての経験である。 狭い散策路も風情があって、なかなか良い。
すぐに平等寺という寺に着いた。 この寺は大神神社の神宮寺として栄えたが、ここも廃仏毀釈で廃寺と
なってしまったが、現在は再興された。 ただし、この日は一部改装中であった。 さらに歩くと、石板浮彫
で高さが2mほどある金屋の石仏が、鉄筋コンクリートに収納庫に収まっていた。 その先には海柘榴市
観音(つばいちかんのん)と言って、日本最古の市があったといわれている所を通った。 ここから先は
ひたすら桜井駅に向かって歩くだけであるが、天理駅−石上神宮間とは異なり、途中に河川敷公園もあり
楽しく散策できた。
もう夕方になったので、近鉄桜井駅から電車に乗り、大和八木駅で乗り換え、大和西大寺駅で下車し、
夕食を食べた。 今夜は、インターネットで予約した、新大宮駅(大和西大寺と近鉄奈良の間の駅)の
前にある、スーパポテル奈良、という格安ビジネスホテルである。 このホテルでは、機械に宿泊代金を
支払うと機械から暗号コードで出力され、部屋の入場からチェックアウトまで従業員の手を煩わす事なく
この暗号入力で全て実現できる、というシステムで、徹底的な合理化がされており、ある意味では感心し
てしまった。 ちなみに宿泊料金は、朝食(パンとコーヒーのみ)付きで、4900円であった。
6月6日(日) 第3日目
残念な事に、天気予報が当たり、朝から小雨模様であった。 今日はあまり歩かず、電車と徒歩での散策
が中心で、特に予定を決めずに、気の向くままにぶらぶらすることにした。 とっても傘を持って来なかった
ので、近くのローソンで使い捨て覚悟のビニール傘(360円)を購入した。
この日の見学地の写真
新大宮駅から、大和西大寺駅で乗り換え、橿原神宮方面に向かう。 目的を決めずにぶらぶらするのに
乗り放題のフリーキップ類は非常に便利である。 ガイドブックを見ていて、最初に行こうと思い立ったとこ
ろは本薬師寺跡である。 ここは名の通り、現在有名になっている西の京にある薬師寺は、ここにあったと
言われている。 このあたりは藤原京といって694年から約16年間(奈良遷都の前まで)都のあったところ
であるが、今は何もない寂しいところになっている。 私は、昔よく飛鳥(明日香)でサイクリングをした時、
この本薬師寺跡まで足を延ばしたが、今日は近鉄の畝傍御陵前から歩いてここまで来た。 本当にこの
当たりは時間の動きが遅いようで昔からほとんど変わっていないような気がする。 次に、この当たりを
ぶらぶらして、JR畝傍駅まで歩き、ここから桜井駅まで電車で行き、多武峰、談山神社に行こうとしたが、
途中ゆっくりし過ぎて、最後は少し走ったが結局JR桜井線の電車に間に合わず、予定を変更せざるを得
なくなってしまった。
予定を変更して次に向かったのは、壺坂寺である。 壺坂寺は、大和西大寺方面から見て、近鉄飛鳥駅
の次の壺坂山駅からバスで約10分の山奥にあるお寺である。 壺阪寺は別名南法華寺と呼ばれ、眼病
効く御本尊として有名で、目の悪い人が多く来るという。 また、このお寺は、インドで造られた大観音像も
あり、純日本風ではない点も特徴であろう。 ここは意外と多くの参拝客があったが、バスで来たのは、
私くらいで、ほとんどの人がマイカーで来ていた。
再びバスで近鉄壷阪山駅にもどり、次に当麻寺(たいまでら)へ行くため、近鉄橿原神宮前で乗り換える。
当麻寺は、當麻寺とも書くようだが、何と言っても有名なのは、天平時代近くにできて今もそのままの
状態となっている東西の三重塔であり、古塔が2つとも残っているのは、日本で当麻寺だけ、という貴重な
お寺である。 でも、雨がぼつぼつと降ってきたので、写真だけをとり、近鉄当麻寺駅に急いで引き返す
事にした。 午後1時になったので、駅に行く途中の食堂で昼食をとった。
雨が降ったり止んだりの不安定な天候という事もあり、昨日いろいろと歩きまわった疲れもあり、今日は
あまり無理をせずに、予定より早く自宅に帰る事にした。 最後の見学地として、法華寺に向かうため、
当麻寺−橿原神宮前−大和西大寺−近鉄奈良駅、と電車を乗り継ぎ、近鉄奈良駅から法華寺まで、
バスに乗った。 天気が良かったら、大和西大寺から、歴史の道に沿って、法華寺まで歩く予定だったが、
天気が悪いことを理由に楽をする事にした。 法華寺は、本尊の十一面観音(国宝)が有名であるが、
今はこの国宝を拝観できる日が限られている。 運良く本日(6月6日)は公開日だったので、見ることが
できた。 法華寺は、尼寺で、境内も落ち着いてなかなか良かった。 また雨があがり陽がさしてきて暑く
なった事もあったので、朝買ったビニール傘は、ここの傘立てに置いていくことにした。
次に法華寺のとなりの海龍王寺(かいりゅうおうじ)に立ち寄った。このお寺は、高さ4mの小さな五重塔
が国宝となっており有名である。本物の塔が金堂に安置されている寺は、日本では海龍王寺以外には
無いとの話である。
少し早かったが、午後4時をまわったので、帰路に着くことにした。 バスで近鉄奈良駅までもどり、電車
で大和西大寺に着いた後、行きと同様に贅沢をして特急電車で京都へ向かう。
京都から新幹線で新横浜に向かい、自宅に着いたのは夜8時前であった。